2012年 01月 04日
あのころ |
1968年夏の新宿駅西口地下は、面白かった。
「酒と女と涙と雨」を国民教育手段として来た音楽産業は、加山雄三ではビートルズ旋風に勝てないと悟りつつも、事の本質を解せずに、米国の先進事例に学んで「グループサウンズ」なるものを立ち上げていた。
私が強い違和感を感じたのは「小さなスナック」なる曲だった。「グループサウンズ」もつまるところ若者向きの「酒と女と涙と雨」だったのだ。
そこへもってきて「帰って来たヨッパライ」である。日本音楽著作権協会などの看板を掲げ、「自粛」という思想統制手段を司る、旧内務省系っぽい国民教育手段管理者側は、これでネコダマシ状態に陥ってしまった。そして我々の世代は、音楽は別に大手流通によって、大人から与えられる国民教育手段でなく、自分達で楽しめば良いのだ、ということに気付いてしまったのだ。
とたんに様々な手製音楽が至る所から吹き出して来た。「自衛隊に入ろう」を筆頭とする様々なパロディソングやら、「ヴェトナム戦争反対」を掲げるジョーンバエズなどの歌を、勝手にアレンジして歌う事が、全国を覆う様になった。「何でもありの関西系」が野火の様に広がって行った。
「帰って来たヨッパライ」連が次にぶっ放したのが「イムジン川」で、これにはついに国民教育手段管理者側もぶち切れてしまった。当局はM君を若者文化の旗手としてして、取り込む事には成功したものの、そんな事では歌声は消し去る事は出来なかった。
そんな風潮の聖地のひとつが新宿駅西口地下広場だったのだ。なにせ団塊の世代であるので、数で勝る我らは日々、新宿駅西口地下広場に集まっては「勝手な事」をやっていたのだ。戦後左翼知識人が指導する反体制運動がそれに上乗りしていたとはいえ、集まった若者の大多数はただ「大人の言う事を聞かないで遊ぶ」ということが目的だっただろう。そしてそれが国の未来を変えるかもしれない、という期待が確かにあった。
秋風が寒さを増して行くうち、熱気が緩くなるのと、機動隊が包囲網を狭めて行くのが重なって行った。そしてついには10月21日の争乱状態となり、「ここは広場ではありません。新宿駅をご利用になる方の邪魔になりますから、集まって歌を歌わないでください。」と相成ってしまったのだ。
M君を取り込んだ国民教育手段管理者側は、若者の歌を「酒と女と涙と雨」という望ましい本来の流れに戻すため、めぼしい連中をどしどしプロモートして行った。吉田拓郎・井上陽水などの当世版「酒と女と涙と雨」がやがては「若者の楽しむべき歌」として素人っぽい下手くそな歌を圧倒して行ったのだ。
そうして祭りは終わり、炎天下の万博会場で「与えられた未来」を行列に並んで観る、ということになってしまった。「アングラレコードクラブ」というのが孤軍奮闘していたが、小生など何となくNeil Youngなどに傾いて行った。
「酒と女と涙と雨」を国民教育手段として来た音楽産業は、加山雄三ではビートルズ旋風に勝てないと悟りつつも、事の本質を解せずに、米国の先進事例に学んで「グループサウンズ」なるものを立ち上げていた。
私が強い違和感を感じたのは「小さなスナック」なる曲だった。「グループサウンズ」もつまるところ若者向きの「酒と女と涙と雨」だったのだ。
そこへもってきて「帰って来たヨッパライ」である。日本音楽著作権協会などの看板を掲げ、「自粛」という思想統制手段を司る、旧内務省系っぽい国民教育手段管理者側は、これでネコダマシ状態に陥ってしまった。そして我々の世代は、音楽は別に大手流通によって、大人から与えられる国民教育手段でなく、自分達で楽しめば良いのだ、ということに気付いてしまったのだ。
とたんに様々な手製音楽が至る所から吹き出して来た。「自衛隊に入ろう」を筆頭とする様々なパロディソングやら、「ヴェトナム戦争反対」を掲げるジョーンバエズなどの歌を、勝手にアレンジして歌う事が、全国を覆う様になった。「何でもありの関西系」が野火の様に広がって行った。
「帰って来たヨッパライ」連が次にぶっ放したのが「イムジン川」で、これにはついに国民教育手段管理者側もぶち切れてしまった。当局はM君を若者文化の旗手としてして、取り込む事には成功したものの、そんな事では歌声は消し去る事は出来なかった。
そんな風潮の聖地のひとつが新宿駅西口地下広場だったのだ。なにせ団塊の世代であるので、数で勝る我らは日々、新宿駅西口地下広場に集まっては「勝手な事」をやっていたのだ。戦後左翼知識人が指導する反体制運動がそれに上乗りしていたとはいえ、集まった若者の大多数はただ「大人の言う事を聞かないで遊ぶ」ということが目的だっただろう。そしてそれが国の未来を変えるかもしれない、という期待が確かにあった。
秋風が寒さを増して行くうち、熱気が緩くなるのと、機動隊が包囲網を狭めて行くのが重なって行った。そしてついには10月21日の争乱状態となり、「ここは広場ではありません。新宿駅をご利用になる方の邪魔になりますから、集まって歌を歌わないでください。」と相成ってしまったのだ。
M君を取り込んだ国民教育手段管理者側は、若者の歌を「酒と女と涙と雨」という望ましい本来の流れに戻すため、めぼしい連中をどしどしプロモートして行った。吉田拓郎・井上陽水などの当世版「酒と女と涙と雨」がやがては「若者の楽しむべき歌」として素人っぽい下手くそな歌を圧倒して行ったのだ。
そうして祭りは終わり、炎天下の万博会場で「与えられた未来」を行列に並んで観る、ということになってしまった。「アングラレコードクラブ」というのが孤軍奮闘していたが、小生など何となくNeil Youngなどに傾いて行った。
by dehoudai
| 2012-01-04 13:14
| うた
|
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