2011年 11月 14日
育てる |
スティーブ・ジョブス君が1997年にアップルに戻って来た時、何がどうなっていたかを読むと、米国資本主義が一体なんなのかを垣間みることが出来る。
企業は豚なのだ。育てて太ったら売って金に換える。
これに対して近代日本の企業家は、企業を自分の分身、子供の様なものと考えて来たフシがある。自分の全てをつぎ込んで育てて、死ぬときにはそれを後継者に託すのだ。日本が産業近代化に成功した秘密が、ここにもありそうだ。
世界企業でも家族経営、という時代にはこれは上手く機能していたが、近年「経済自由化」ということで、企業は豚なのだから、太らせて売れば良い、とM&Aが「先進国並み」ということになると、日本の企業力もこれからが心配だ。
これに気付いたのは先年静岡県のシンクタンクが主催した「静岡アジア・太平洋学術フォーラム」というのを覗いてみたことがあり、そこで中国経済に詳しい論者が「企業は豚なのだから、育てて太ったら売れば良い。」ということでは中国に於ける産業近代化は絶望的だ、という発表をしており、妙に納得してしまったからだ。
自分の全てをつぎ込んで、それを後継者に託すことが出来たスティーブ・ジョブス君は米国では例外的に幸せな人生を送ることが出来た。
しかし「企業は豚なのだから、育てて太ったら売れば良い。」ということでやって来たビル・ゲイツ君は、資産の半分を「慈善」につぎ込んだところで、幸せの実感は得られず、世界中の人々を振り回した挙げ句、今頃になって"Same hamberger"などと言っているのを見ると、何だか可哀想な感じがする。
ボーイング氏は元々家具職人で、趣味半分にヨットを作っていたのが、木の骨に布やら板やら張るのは似た様なもんだ、ということで航空機を作り始めた、とボーイングの博物館で目にしたことがある。
浜松市内でもSUZUKI本社近くの中古自動車屋のオヤジに話を聞くと、鈴木道男の頃に「一緒にポンポンを作っていた。」という話が聞ける。そして必ず付け加えるのが「あの頃は面白かったなア。」だ。この「面白い。」というのが、単なる年寄の決まり文句では無く、企業活力の元なんでは無かろうか。「太ったら売って金に換える。」ではこうは行くまい。
企業は豚なのだ。育てて太ったら売って金に換える。
これに対して近代日本の企業家は、企業を自分の分身、子供の様なものと考えて来たフシがある。自分の全てをつぎ込んで育てて、死ぬときにはそれを後継者に託すのだ。日本が産業近代化に成功した秘密が、ここにもありそうだ。
世界企業でも家族経営、という時代にはこれは上手く機能していたが、近年「経済自由化」ということで、企業は豚なのだから、太らせて売れば良い、とM&Aが「先進国並み」ということになると、日本の企業力もこれからが心配だ。
これに気付いたのは先年静岡県のシンクタンクが主催した「静岡アジア・太平洋学術フォーラム」というのを覗いてみたことがあり、そこで中国経済に詳しい論者が「企業は豚なのだから、育てて太ったら売れば良い。」ということでは中国に於ける産業近代化は絶望的だ、という発表をしており、妙に納得してしまったからだ。
自分の全てをつぎ込んで、それを後継者に託すことが出来たスティーブ・ジョブス君は米国では例外的に幸せな人生を送ることが出来た。
しかし「企業は豚なのだから、育てて太ったら売れば良い。」ということでやって来たビル・ゲイツ君は、資産の半分を「慈善」につぎ込んだところで、幸せの実感は得られず、世界中の人々を振り回した挙げ句、今頃になって"Same hamberger"などと言っているのを見ると、何だか可哀想な感じがする。
ボーイング氏は元々家具職人で、趣味半分にヨットを作っていたのが、木の骨に布やら板やら張るのは似た様なもんだ、ということで航空機を作り始めた、とボーイングの博物館で目にしたことがある。
浜松市内でもSUZUKI本社近くの中古自動車屋のオヤジに話を聞くと、鈴木道男の頃に「一緒にポンポンを作っていた。」という話が聞ける。そして必ず付け加えるのが「あの頃は面白かったなア。」だ。この「面白い。」というのが、単なる年寄の決まり文句では無く、企業活力の元なんでは無かろうか。「太ったら売って金に換える。」ではこうは行くまい。
by dehoudai
| 2011-11-14 13:52
| まっく
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