2011年 11月 10日
上棟式 |
しかし和尚さんが隠居屋を建てるには「法灯を伝える」ということをしなければならず、こちらもなかなか大変だ。
「竹田の子守唄」の元歌になっている「竹田のこいこい節」には次の様な歌詞がある。
新館新館といばるな新館
広い新館に寺が無い
子守歌というのは、子供のワークソングなので、結構きつい歌詞がある。庵の様なものがあって、お坊さんの様な人が住んでいる、だけではだめなのだ。弟子を取って法灯を伝える、ということでないと寺とは呼べず、そのためには色々な決めごとがあるのだ。次の様な歌詞もある。
寺の坊んさん 根性が悪い
守り子去なして 門しめる
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
表から読むと、嫌な坊さんもいたもんだ、ということになって、水上勉の少年時代なんだが、別の情景も想像出来る。
この場合のお坊さんは子供の良い遊び相手であって、他に遊び場が無い小守達が寺の境内に集まって、お坊さんをからかって遊んでいるのだ。日が暮れても小守達は晩飯どきまで雇用者の元には帰れない。お坊さんをからかっていたくても、お坊さんは門を閉めて暮六つの鐘を鳴らさなければならない。お坊さんも小守達も、相手の事情を充分承知しているが、仕方無いのだ。可哀想だとは思いつつも、門を閉めて鐘をつこうとすると、門の外から小守達の合唱が聞こえて来る。
12歳以下の就労禁止、16時間以上の就労禁止、という工場法が紡績工場に徹底され始めたのは大正13年ということなので、その頃の歌なのではなかろうか。
by dehoudai
| 2011-11-10 21:11
| まちづくり
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