2011年 07月 04日
末の松山 |
末の松山波越さじ、つまり
「海岸の松林を乗り越える波なんて来るわけは無い、と思っていたのに、あなたは想定外の裏切りをしたのね。」というのは勝手に人間がそう思っていただけで、「想定外」の津波が原発を襲うこともあるのです。
宝永山が噴火したの宝永4(1707)年、それまで潮見坂の下にあった東海道白須賀宿は津波で壊滅、坂の上に移転しました。爾来304年、人々は津波のことなどすっかり忘れて、道路は作るは原発は作るはであります。
東電が呼んだ米国の原子力専門家は「地震と津波が同時に来るという、今回の事態は非常に特殊なもので、世界の原発が廃炉ということは考えられない。」と仰せ有ったようですが、そうした非常に特殊な場所に、原発を作るのはいかがなものかと思うのであります。
by dehoudai
| 2011-07-04 21:23
| きせつ
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