2010年 11月 21日
超高層マンション |
この計画はロジャース卿を委員長とする「都市再生本部」(どこかで聞いた名前だぞ)が2000年に取りまとめた「都市再生に向けて」という報告書の筋書きに沿ったものだ。この報告書は概要版を読んでみると、「かってに造っちゃあ壊し」が出来る東京がうらやましい。」という羨望のよだれにまみれている感じがする。
アビーロードを見てもお分かりの通り、ヨーロッパの都市は「一度造ったら『最後の審判』の日まで使う。」という都市建設を、2,000年近く続けて来た。ローマ時代のローマの中心であるフォルム・ロマヌムからカンピトリオの丘を見ると、現在も使用中の市役所の建物が見える。古文書館などになっているらしい基壇部分は、ローマ時代のものではなかろうか。
ラファエル・ヴィニョリによるバタシー計画を見ても、「一度造ったら『最後の審判』の日まで使う。」という伝統的なヨーロッパの都市建築のあり方ではなく、ヴァーチャル・リアリティーと混じり合いそうな「うたかたの建築」という印象を受ける。1970年代に話題になったアーキグラムの"WALKING CITY"というのも、実は「君命あらば何処にでも住む。」ぶっちゃけて言えば、御国替えがあると、見知らぬ土地であてがわれた屋敷に住むしかないと言う、「寓居思想」かもしれないのだ。
そんなスケールで都市住宅を考えると、「食べる為に働く」地中海人なら、ブチ切れてしまいそうな「働く為に食べる」という近代日本人の生き方が、浮かび上がってくる。日本人は豊かな生活を実現する為に、都市住宅に住むのではなく、国家経済を支える「都市の破壊と建設」に奉仕する為に、都市住宅に住むのだ。
文明開化以降「一度造ったら『最後の審判』の日まで使う。」という西洋建築技術を、見よう見まねでこれまでやって来たが、どうもこれは日本人の間尺に合わぬ。地主は守られるべきもので、その上に永久仮設建築たる「寓居」を乗せる、というのが健全な日本経済の基盤だ、という発想が「姉歯事件」の底流ではあるまいか。
ウォールストリートジャーナル
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by dehoudai
| 2010-11-21 09:43
| まちづくり
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