2010年 08月 21日
SENTO AT SIXTH AND MAIN |

Gail Dubrow w/ Donna Graves
Smithonian Books 2004
シアトル国際地区6th & Main にあるホテルの地下から、戦前封鎖されたまま忘れられていた銭湯が発見されて、若者がカフェに改造した、という記事がしばらく前にあった。
先日書評がで出いたので、その話かと思って本書を取り寄せてみた。
表題の橋立湯を始めとして、西海岸各地の日系人にまつわる戦前の生活の痕跡を、保存活用したらどうか、という趣旨の本だった。今のうちに整備しておかなくては、永久に失われてしまう、という著者も名前は日系ではない。日本は夫婦別姓ではないので、Donna Gravesさんも日系人かどうかは不明、タダの米国人だ。戦時強制収容の謝罪補償を境に、垣根が一つ消えて、戦前の日系人の記録も、日系人だけのものではなく、アメリカの歴史の一部となりつつあるのだろう。
米国の日系人の記録が、日本語で綴られたのは、1968年に刊行された「北米百年櫻」辺りが最後で、その後は井上健上院議長を筆頭とする「日本語を禁じられた世代」となり、それに続く元統合参謀本部議長エリック新関退役陸軍大将の世代では、日系のミドルネームも使われなくなる。
本書では材木伐採キャンプ、農場、田舎の雑貨店に次いで、日本館、橋立湯、日本語学校、お寺、産婆、リトルトーキョー、ボーリング場が取り上げられ、由来が語られている。

近所の「武士ホテル」には幾度か泊まったことがある。橋立湯の隣には創業明治37年という「まねき」があり、シアトルへ初めて行った際に、連れて行ってもらったことがある。日系諸先輩が熱燗をやりながら、渋い顔で視線を走らせる先には、ビールでどんちゃん騒ぎを繰り広げる、英語の解らない「語学研修生」の群れがあったのを覚えている。今のシアトルで日本と言えば、NESとイチロー君などであって、NESが花札から始まったことや、死にものぐるいで生活を立てていた、戦前の日系人に思いを寄せるものは少ないのだろう。
Hotel on the Corner of Bitter and Sweet
by dehoudai
| 2010-08-21 12:26
| ほん
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