2010年 07月 23日
御用猫 |
入出港は徳川家康公が「御菜八ヶ浦」を定め、世に「江戸前」なる言葉が通る楊になる前、家康公浜松御在城の砌、御用網を命ぜられたところなので、当時は「御用猫」というのも居たかもしれない。
浜松駅前に戻って、街をうろついていたら、「もち鰹あります」という書き出しに突き当たったので、入ってみた。このところ地魚で売り出している店だ。鰹の腹皮には横にも包丁が入れてある。普通は縦に刻みを入れるだけなので、この方が食べやすい。板前さんは大阪の人だと言う。鰹の腹皮は乱暴な食べ物で、関東風という感じだが、こうすると上品だ。
「何を食わせたいか」聞くと「鱧の照焼」だという。なるほど祇園祭には鱧の湯引きだろうが、どうもあれは「魚なら何でも食べてやる。」みたいな、京都人の意地みたいなものを感じてしまう。田舎もんは「鱧の照焼」なぞ食べた事が無かったので、試してみた。骨を切って、実に丁寧にこんがりと焼く。こうすると骨が当たらなくて、実に美味しい。新しい感動だった。関西の食文化のなせる技だろう。「鱧の照焼」が「料理」ならば、もち鰹は単なる「料」に過ぎないのだ。
しかし小生はというと、出来る事なら飯を食う代わりに、腹一杯魚を食えば幸せという、食文化からは程遠い、漁港の猫みたいなヤツなので、始末に負えない。港の猫で有名になったのはミナマタの猫なのだが、あれの同族だ。
by dehoudai
| 2010-07-23 08:22
| はまなこ
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Comments(2)
東京で魚河岸ていうと築地だけと思われているようだが、千住にも河岸はある。高級魚は専ら銀座の隣に行くが、千住は大衆魚が...である。足立に住んでいた頃から飼っていた猫は千住市場の新鮮な鯵で育ったので、八王子の山里に越してきた当時、新鮮でもない鯵に猫はソッポを向くし、そんな鯵の値段に母親は悲鳴、いつしか猫も山に狩猟に出掛けるようになり、モグラ、山兎、小綬鶏、等々の獲物を自慢気に持ち帰るように...郷に入れば...である。
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dehoudai at 2010-07-23 11:20
一番イカンのは街の高齢者猫である。若い頃は公園などでスズメやらネズミやら取ってきたものが、最近は外へ出ない。ペレットには「骨粉でも美味しくしてしまう粉」が掛かっているだろうからと、たまには鰹のアラをくれるのだが、3食目には「食い飽きた。」とおっしゃる。猫缶も高いので、ペレットにシラスをかけてやると、シラスだけ食ってしまう。亭主がパックの花カツオは嫌いなので、わざわざカツオブシをかいてくれると、それだけなめてしまう。公園猫は「食う喜び」に満ちているのだが、人間と暮らしていると、鈍感になるのだ。