2009年 04月 30日
<鬼子>たちの肖像 |
中公新書2005
「小家珍説」と言えば失礼に当たるが、大家高説ではなく、ちょいと20世紀を眺める好著。19世紀後半から1895乙未年前後の「点石斎画報」なる、日本でいえば「ポンチ絵」に近いものを眺めるのが主。小林清親の時代の、東洋鬼子のポンチ絵はそれなりに面白い。岸田吟香も出て来るぞ、結構著者の目線は小生に近い。岸田吟香のムスコが書いた「麗子像」はその昔可南子さんちの食堂に掛かっていたそうだ。などと眺めていると、
おーっとこれは藍地黄虎旗ではありませんか。台湾の民衆が唐景崧を「台湾民主國」の「伯理璽天徳(プレジデントね)」に推戴せんと、屋敷に押し掛けているところだ。そういえば過日鑑賞した「寒夜」に出て来る「東洋鬼子」も、概ね本書に紹介されているものと同じ描き方であって、あれは中国伝統の描き方なのだね。
などと納得していると、著者の元に「えんがちょめっけ。」の報あり。2001年に刊行された軽装版では、「台湾民主國」の旗が消えているのだという。中華人民共和国では「台湾独立」「民主国」はまかりならんという訳だ。中園栄助さんの「何日君再来物語」にも見る様に、彼の地の「手心大人」は難しい。
「手心大人」という観点から「点石斎画報」の挿絵を眺めると、中国に於けるこの時代の和風建築あるいは西洋風建築の見方が伝わってくるのも、興味のつきないところだ。
巻頭の「山海経」から始まる「鬼子」の説明からは、北海道の感性も感じられる。「外国」は「中国」の反義語であって、「自国」の反義語として「他国」でなく、つい「外国」と言ってしまう日本人は、漢字を知らない化外の民なのだ。その中で歴史的には北海道は沖縄に次ぐ「外地」の先駆けであって、「外地」とは言わぬまでも今だに「内地」という言葉を使う人も居れば、「人」という漢字に「アイヌ」とルビを振る方々もいるのだ。
1895年頃の支那人のポンチ絵の可笑しさを、現在見ようとすると、Youtubeの繁字体「志村大爆笑」がオススメ。台詞は日本語で、繁字体の字幕が付いているのに、何の違和感も無い。「白癡城主」の後には漢字の掛軸が下がっており、加藤茶と鄧麗君の掛け合いなど、中国語がオリジナル、と言っても可笑しくない。お宮で願掛けとか、馬鹿侍とか、エロ坊主とか、我々にとって当たり前のものが、実は中国からの輸入品であり、同じ仕掛けで笑いを取れるものが、結構多いのではなかろうか。小道具にしても「メシ」に到るまで、中国からの輸入品なのだから。そして笑いの仕掛けでも「鬼子」は定石のひとつだ。
台湾と言うと、
臺灣民主國2
<鬼子>たちの肖像
阿春仔伊阿媽2
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非情の山地
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'96台湾行
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知られざる東台湾
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台湾育ちのリービ英雄
by dehoudai
| 2009-04-30 15:23
| ほん
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