2009年 03月 23日
Strange Fruit |
図は二姉マーチョにてお出かけの図なのであるが、通学路に不思議な果実がころがっていると、「うんと嫌な気がした。」そうだが、そんなものにかまけていると学校に遅れてしまうから、良い子は立ち止まってはいけない。1939年は康徳6年であり、二姉は新京市高千穂小学校4年生。澤地久枝の様に植民地での幼児体験が、人生のテーマとなってしまう人もいるが、普通の人はそうではない。
特に記憶に残っているのは、スケートリンクへ出かけて、さて滑ろうとしたら食堂の裏に、子供くらいの大きさの綿入れがころがっているのを見てしまったこと、だそうだ。うきうきした気分が台無しになってしまったのだろう。
二姉にしても父が奥地へ転勤となり、浜松市立女学校へ転校してみると、昭和20年6月18日には空襲に出会い、死んだ人をよけて勤労動員の日楽工場にたどり着くには、大変であったと言う。
by dehoudai
| 2009-03-23 23:58
| うた
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