2008年 10月 12日
秋祭り3 |
平安時代の路地
賀久留神社は「三代実録によると、貞観四年(862)五月に従五位下に叙されている。」(玄松子の記憶・延喜式内社)とあるので平安時代には既に人が住み、米が作られていたようです。現在でも神ケ谷町は神の住む谷というたたずまいを残しています。その後の村の変遷はあったにせよ、村の中には平安時代、あるいは奈良時代の路地も、あるのではないでしょうか。
その後、武門からの寄進が多かったためか、八幡神社と呼ばれていたものを、明治の御一新とともに、「日本は武国ではなく神国である」という訳で、神名帳による名前に復古したのだそうです。明治の復古調でしょうが、背景と相まって、平安時代を彷彿とさせる祭りの行列です。
舞楽奉納(楽は残念ながら録音です)もさすがに式内社です。
ところが屋台に付き従うのは娘達の「竹の子踊り」なのですね。ここ20年程の現象なのだそうです。神ケ谷の様なところでは、長年厳密に祭事進行を守っていたと思われます。それが娘も法被を着て良い、ということになり、古式ゆかしい神ケ谷の娘達にとっては、法被を着る=男装という発想に結びついたのではないでしょうか。法被=男装=仮装ならなんでもいいじゃん方向へ事態はころがり、狸のぬいぐるみ、バニー、ゴスロリ、メイド、ナースという事態に陥ってしまったのですね。
田んぼを守っていれば家族が食べられる、という時代が平安時代以来、細くも長く続きました。産業近代化の後も男が働けば一家が食べられる、という時代が続きました。この時代の母は男のために娘を育てていました。
しかし近年になって、男が働いても一家を養えない、となってしまい、働きに出た母達は、男のために娘を育てることを止め、女は女で生きる、という道を選び始めています。神ケ谷の娘達も時代の子なのです。これが若衆にも逆に伝染して、女装で太鼓を打つことになってしまったのではないかと。
男の子達の仮装で目についたのは「園児服」でしたが、その中で本日の圧巻は全身に発光ダイオードを巻き付けた「電飾男」でした。
神の住む谷
秋祭り4
秋祭り3
秋祭り2
秋祭り1
by dehoudai
| 2008-10-12 23:59
| きせつ
|
Comments(0)