2008年 10月 03日
まちなみは住民が自分で守る権利 |
構造偽装に続き、まちづくりでも行政責任はヤバイというわけで、まちなみは住民が自分で守る権利、という方向に進んでいます。
続きを読む
by dehoudai
| 2008-10-03 16:11
| まちづくり
|
Comments(5)
Commented
at 2008-10-03 23:36
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
kuunuu at 2008-10-04 03:11
マコトちゃんの赤白縞模様の家と町並みについてはどうですか。私と周辺では、あの程度ならOKという声が多いです。反対派の「改築するまで、月に10万円払え」という主張は? あの家は住友林業がやっています。私、何年か前、住林のPR雑誌の仕事をしたことがあって、だいぶ、営業や設計の人と会ったのよ。住林の手がけた家も、施主さんにも会ったし。たいへんなんだよね。
0
Commented
by
dehoudai at 2008-10-04 10:13
「土地柄」というのが結論でしょうね。
例えば<a href="http://ja.trekearth.com/themes.php?thid=5653">滝野川</a>であるとか、田端・駒込の様な、江戸の場末だったらああした裁判は起こらないと思います。
国立だったらダメでしょう。三鷹市下連雀なんてのもダメそう。吉祥寺という土地柄がよく解らないので、何とも申し上げられません。
青梅街道と甲州街道から「こっちへ来るな。」と言われて現在の中央線の路線が決まったのだそうです。その後100年以上かかって「中央線文化人」みたいな、人種が出来上がって来たのではないでしょうか。江戸の下町に対する近代の山の手、みたいな。
江戸の下町の住民には「まちなみの理想」なんてのはなかった様な気がします。江戸時代には武家地でも国元と江戸詰めの引っ越しがあるので、「寓居」という発想が山の手にもあった様に思います。
例えば<a href="http://ja.trekearth.com/themes.php?thid=5653">滝野川</a>であるとか、田端・駒込の様な、江戸の場末だったらああした裁判は起こらないと思います。
国立だったらダメでしょう。三鷹市下連雀なんてのもダメそう。吉祥寺という土地柄がよく解らないので、何とも申し上げられません。
青梅街道と甲州街道から「こっちへ来るな。」と言われて現在の中央線の路線が決まったのだそうです。その後100年以上かかって「中央線文化人」みたいな、人種が出来上がって来たのではないでしょうか。江戸の下町に対する近代の山の手、みたいな。
江戸の下町の住民には「まちなみの理想」なんてのはなかった様な気がします。江戸時代には武家地でも国元と江戸詰めの引っ越しがあるので、「寓居」という発想が山の手にもあった様に思います。
Commented
by
dehoudai at 2008-10-04 10:16
妻籠や<a href="http://ja.trekearth.com/themes.php?thid=5650">大井川川越宿</a>「日本の美しいまちなみ」はそれを目指して、というより、御法度で建て方が決められている、材料がそれしかなかった、というところから来ていると思います。ここにも「まことちゃんの薬屋」みたいのがあります。
それが御一新このかた「新しいまちなみを作る」という理想に燃えた人々によって様々な「まちづくり」が行われてきました。「古い・遅れた・劣った」ものを欧米の「新しい・進んだ・優れた」ものに換える、と言う文明開化の力がかかっていると思います。
まちなみついても自由が丘、田園調布といった住宅分譲地に始まり、「欧米並の美しいまちなみ」へ突っ走る人々がいました。国立などもその例でしょう。ところが看過されやすいのは建物の寿命に付いてです。例えば英国の住宅の平均寿命が800年ということで、はしょって言えば一度建てた住宅は「永久に」使うのが、彼の地のやり方です。
それが御一新このかた「新しいまちなみを作る」という理想に燃えた人々によって様々な「まちづくり」が行われてきました。「古い・遅れた・劣った」ものを欧米の「新しい・進んだ・優れた」ものに換える、と言う文明開化の力がかかっていると思います。
まちなみついても自由が丘、田園調布といった住宅分譲地に始まり、「欧米並の美しいまちなみ」へ突っ走る人々がいました。国立などもその例でしょう。ところが看過されやすいのは建物の寿命に付いてです。例えば英国の住宅の平均寿命が800年ということで、はしょって言えば一度建てた住宅は「永久に」使うのが、彼の地のやり方です。
Commented
by
dehoudai at 2008-10-04 10:17
これにたいして江戸の街は10年に一度は焼けても損をしない、という建て方でした。実は「古い・遅れた・劣った」ものではなくて、欧米の永久建築物からすれば「仮設建築」だったのですね。最近のマンションがもっと持つはずなのに30年くらいで建替えられてしまうのも、建築基準法なんてザル法のせい、というより建物の寿命に関する意識から来るものだと思います。
最近の環境論議からは「長持ちする家を造ろう-100年住宅だ」なんて話も出てきます。これも欧米の石・コンクリートの建物が自然破壊であるのに対し、木造の建物は自然を人間にとって最も優しい状態に維持する、という環境維持行為であることを看過している面があると思います。
最近の環境論議からは「長持ちする家を造ろう-100年住宅だ」なんて話も出てきます。これも欧米の石・コンクリートの建物が自然破壊であるのに対し、木造の建物は自然を人間にとって最も優しい状態に維持する、という環境維持行為であることを看過している面があると思います。