2008年 09月 17日
戦わない |
酒が回ると
怖いんである。「おまえは糖尿病の食事のコントロールがなっとらん。」と言って怒るのだ。呑みながら言ってるんだから、手に負えない、と思うのだが、当人は私などより真面目にコントロールしながら呑んでいるのであろう。
医者が怒ると怖いのは、病気と闘う商売だからであろう。患者を叱るつもりが、夢中になると怒ってしまっているのだ。怖いのでこいつにはかからない様にしている。
建築士は医者と違って戦わない商売である。地震など天変地異との闘い、というのはあるが、これも構造力学とか、壁の中での水分の毛細現象の考察といった物理学みたいなもので、静かな闘いだ。建築士には和やかな人、闘い、それも人との戦いなど苦手、という人が多い。「百戦百敗」などという発想が無いので、ボクサー志願の若者が、戦いを挑んで来たりすると、皆やられてしまう。
建築工事には多業種の人々の協力が必要なので、人の力をまとめる能力が必要になる。「オレが言った通りのことをすれば良いんだ。」というだけでは駄目で、手を動かすものが納得出来る環境を作ることが「和」風だったのではなかろうか。西部劇あるいは「ロッキー」の世界で育った洋風の「契約」とはちょっと違う様な気もする。
任侠小説の世界では「人生劇場」飛車角が談合破りに意見をしに行って、返り討ちにあって死んでいる。しかし談合がこうした建設業界の「和」の体質に根ざしている、というのは見当違いだ。談合には必ず「官庁工事の」という枕詞が必要な訳で、これは「予算があるけど何に使おうか。」という和風行政システムの本質から派生したものだ。談合を根絶するには入札システムの公開より、予算決定過程の公開、あるいは予算案を住民投票で決める、という西部劇式が有効だろう。
とにかく建築士は戦いの苦手な人種なので、まちなみを破壊する高層マンション業者などが出て来ても、なかなか巧く「闘え」ない。
by dehoudai
| 2008-09-17 12:31
| まちづくり
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