2008年 08月 17日
瀬戸の吊り橋 |
「遠州の八高線」である天竜浜名湖線が、浜名湖迂回の軍事的要請で出来たのは昭和の10年代なのだが、我々のガキの頃、つまり高度経済成長期にはこれを使った佐久米海水浴場などから「観光浜名湖」が始まった。圧巻のひとつが言うまでもなく「瀬戸の吊り橋」であって、石原裕次郎がスポーツカーで通り過ぎる、というノリなのだ。当時の「観光」のステージセットには、歌舞伎などに見る伝統的なボキャブラリーがまだまだ使われている。「瀬戸の吊り橋」から見た岩の上に祠があって、赤い太鼓橋が懸かっている、なんてのはそうした舞台セットなのだろう。
今はそんなものは上演されないだろうが、「与話情浮名横櫛」の原作を見ると、途中で「その昔頼朝が女護島へ流されると、そこではタイやヒラメの舞い踊り、、」という話の本筋とはマッタク関係ない一場が挿入されていて、現代人であるワタクシなどキョトンとしてしまう。「瀬戸の吊り橋」のこの景色など「石原裕次郎がスポーツカーから降りて橋を渡ると、そこには竜宮城があり、タイやヒラメの舞い踊り、、」という雰囲気で、良く昭和30年代の浜名湖観光のかたちを残していると言える。
by dehoudai
| 2008-08-17 23:31
| はまなこ
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