2019年 01月 21日
雄踏歌舞伎 |
雄踏まで歌舞伎を観に行って来ました。
弁当を使ってみようと思ったのですが、幕の内はあるものの、御酒が御座いません。歌舞伎というと朝方出かけて、昼に弁当を使い、番付が進むに従ってほろ酔いがちょうど良いところへ収まる、というものでしょう。しかるに御酒が御座いませんでは、これはどうも工夫がうまくありません。
仕方なく外へ出ると薄ら寒い冬の曇り日。
雄踏街道は幅四間程でしょうか。江戸時代の大道の標準サイズでしょう。東海道五拾三次は元々が大名行列のためのもので、外様大名から年貢をむしり取って、それを沿道の村々にばらまかせる仕掛けです。公務の手形の無いものがそんなところへ行けば、何をされるか分かったものではありません。雄踏街道の様な脇往還が町人の東海道だったはずですが、今では閑散としています。明治の一時期、宇布見と湖西日ノ岡が近代舟運のルートになりましたが、奈良時代からの物流ルートをなぞったものではないでしょうか。
土産品にヤマチョウの入出煮。日光様御在城の頃は入出から献上の魚が宇布見へ来て、ここから御城下まで入ったのでしょう。江戸前より古い将軍様御用達の名残ですが、今ではブシの原料は霞ヶ浦から取っているようです。その霞ヶ浦も、今ではプルトニウム欲しさに作った原子力発電症のせいで、変なものが流れ込んだという米国の植民地ぶりです。
おーっと魚屋には舞阪もちかつお「入荷予定」とあります。雄踏街道も文明開化このかた、ガチャ万と称して、糸偏で儲けた時代もありました。この辺りにも値段を聞かないで「カツオを持って来い。」とやる旦那衆がまだいるのかもしれません。
雄踏橋を渡ると舞阪駅に通じます。ただし冬は湖水の上から吹き付ける冬の西風の寒いこと。源氏店に出てくる木更津同様風下の湊です。 この交差点が、まあ雄踏町の中程でしょう。正面が雄踏小学校左は宇布見山崎。遠鉄バスの車庫があるので、宇布見山崎行きというのは多いです。
日本駄右衛門が
問われて名乗るもおこがましいが 生まれは遠州浜松在
と演っているのはどこでも見られますが、ここでは弁天小僧も忠信利平も赤星十三郎も南郷力丸も演っているのは生まれは遠州浜松在という豪華というか、奇天烈なのです。
稲瀬川の後休憩があって源氏店。
いやさお富 久しぶりだなあ
となると後ろからどーっと花が飛んできます。 皆さん着物がン十万、帯がン百万やらパリコレクションを召した方々がショッピングの紙袋の中から掴んでは投げ、掴んでは投げをするのです。歌舞伎鑑賞というのは舞台の上だけでなく、これまでがセットなのでしょう。梅沢富美男さんならともかく、銀座まで行くには皆さんお召し物は良いでしょうが、掴んでは投げ、掴んでは投げがないのはちょっと物足りない、ということでしょうか。
久しぶりの知り人にも会えて、いかにも歌舞伎見物、という気分でした。米子さんは宇布見の産、中学高校と牡蠣剥きのアルバイトをしていたそうで、手を真っ赤にして働く美少女という吉永小百合の「寒い朝」を思い出してしまいます。私の祖父は宇布見小山の産で養子に来たそうですが、それも曾祖父が村芝居のスーパースターだったということで、そっちの筋かもしれませんが、これはまた誰かに聞いてみるしかありません。外に出ると気分は
「銀座の春の宵」
笠松紫浪
昭和9年
なんですが、
なんですが、
by dehoudai
| 2019-01-21 12:49
| まちづくり
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