2017年 12月 02日
幕府衰亡論2 |
ちょっと寒くなったので、76年前を思う。
ルーズベルト大統領は子供騙しの無電封鎖にも関わらず、毎週連合艦隊の位置につき毎週ブリーフィングを受けてご満悦だ。12月7日には「やったやった、引っ掛かったぞ。」とチャーチル君と電話で喜び合っていたそうだ。
奇襲攻撃という筋書きで2,000人か3,000人に死んでもらわないと、戦争にならないので当然国民には秘密、というのがWTCのテロと同じである。
元御直参福地源一郎氏は第1章で徳川幕府を概観したのに続き、その滅亡の道筋を辿る。これを要するに日本語には"accountability"も"respomsibility"もliability"も無いかわりに「いざとなったら切腹すればイイヤ。」式の「責任」があるのと同様、"informaion"と”intelligence"の違いも分明でないのだね。文明開化というものの、この辺りが全くヴァージョンアップしていないことを、国民は東京電力の原発事故でたっぷりと見せつけられた。
福地源一郎氏が腹に据えかねているのは嘉永6年6月時点での長崎奉行川村対馬守であることが、
當時の長崎奉行川村対馬守は純然たる俗吏にて外國の事情などは素より知らず、其上に浮としたる旨を上申して事相違あっては一身の不首尾なりと恐れたれば右の甲比丹の風説忠告に意見書を加え、斯様には申せども外國人の言う事なれば決して引當てには相成りがたし宜御取捨てあって然るべしと真偽相半ばするの意を示したり。
と苦虫を噛み潰したような筆致で名前まで出していることから察せられる。
"informaion"に価値を付加して"intelligence"に組み立てる能力の無いものが要職について、「たぶん大丈夫。」式の楽観で国を滅ぼすのだ。
1639年 寛永令 異國船を見掛け候はゞ二念なく打拂うべし
1806年 文化令 來意を尋ね漂流船に候はゞ薪水食糧を与えて退去せしむべし
1825年 文政令 寛永令に戻す
1842年 天保令 薪水給与令
1852年 嘉永5 和蘭内密御忠節 来年米国より使節が来航する
とあって
嘉永6年6月に米國使節海軍中将伯爾里が軍艦を率いて渡來の事は幕府内閣に於いては決して寝耳に水と云ふに非らず、實に其前年よりして聞き知ったる事にぞありき。
とまあ成り行きで日本国は米国の"Manifest Destiny"二百年の計に絡め取られて行くのでござる。
by dehoudai
| 2017-12-02 18:17
| ほん
|
Comments(0)