2017年 10月 13日
必然的な殺人 |
夜の高速でこんなのが追いかけてきたら、さぞかし怖かろうと思う。
そいつが本線追越車線で巾寄せをして本線上に停車させたところ、トラックが突っ込んで、おとうさんとおかあさんが死んでしまったとなると、何をか言わんやだ。
犯人にとっては追い越し車線を走る自分の前をどかないものは死を与えて当然だったのだろう。
我々には思いもよらない、そうした発想を生み出しているものに、車のデザインがありはしないだろうか。自動車メーカー各社は、後ろから走っていけば、前の車が恐ろしがって逃げるようなデザインを競い合っている。喧嘩腰のカーデザインが殺人事件を起こす必然の原因の一つだ。
カーデザインが喧嘩腰になってきたのは、先進国では新規登録台数が頭打ちで、乗用車市場が新興国に移っているためではないだろうか。乗用車が喧嘩腰になる前に、オートバイで同じことが起きている。台湾で気がついたのは、SUVなるものが、四輪駆動の荒地用のものではなく、二輪駆動で、未舗装道路を毎日通勤しても壊れない、丈夫な車という趣があることだ。それが喧嘩腰の顔をして、未舗装道路で抜きつ抜かれつしている、というのもありそうなことだ。
犯人をそこへ追い込んだもう一つの環境は「追越車線」というものではなかろうか。
高速道路の指定速度は乗用車100km/h、大型貨物自動車80km/hではなかったか。それが片側2車線の高速道路で、車間距離がギリギリという交通量で安全に走行するには無理がある。右車線は100km/h、左車線は80kmkm/hでつながっており、追い越しは不可能に近い。右車線を100km/hで走っていれば、「どけ」というものが後ろから迫ってくるのが不思議ではない。
一級国道の2車線区間を深夜に走ると、左車線80kmkm/h右車線100kmkm/hでスムーズに流れており、うまくすれば数十kmにわたって信号に引っかからない。それが高速道路の2車線区間では「追越車線」という表示のために無法地帯になってしまう面があるのではなかろうか。「追越車線」を見直さないと必然的な殺人は繰り返されるだろう。
英国の高速道路は概ね片側3車線なのだが、左から80km/h, 100km/h, 120kmで、追い越しもない。英国は階級社会だというので、左から貧乏人、普通の人、金持ち、という車線区分かもしれない。
日本では事故があると「喧嘩両成敗」とばかり、追突したトラックの運転手も「前方不注意」などと言われかねないが、それでは問題は解決しないだろう。一旦停止の停止線オーバーも構造的な問題だ。取り締まられる方からいえば、誰も停止しない停止線でネズミ捕りをやって、仕事をしているような顔をするのはけしからん、となるが、取り締まる方からすれば誰も止まれないような停止線を作る方がおかしいのに、それのお守りをしなければならないなんて、嗚呼人生は虚しい。と嘆ずる人も居ろう。
しばらく前まで高速道路を走るのは、それほど苦にはならなかったが、昨日は辛かった。高度に神経を集中させて、それを持続するのが負担なのだ。さりとて一般道路へ下りれば朝晩はどこもグリッドロック状態だ。「裏道抜け道」というがすべての道路はつながっている。高血圧と同じで、どこか一部だけ血圧が低い、ということはありえない。同級生が「つくづく、電車の方が楽だ。」と言っていた。
早く走る、というのは繁殖期の男の本能ではなかろうか。群れの中から一番早く繁殖相手にたどり着いて男の仕事をする、という本能が脳味噌に維持されているのだ。生理的には繁殖期を卒業しても、脳味噌が繁殖期を卒業するのには、それからしばらく掛かるのだろう。
男の繁殖行動は中学生から高齢者まで進化しない。それに対して女の繁殖行動は男からタンパク質を受け取って、それを赤ん坊にし、赤ん坊を食べさせて子供にし、子供を一人前の人間にする、と進化し続ける。まあ女の中にも子供から卒業できないイカレポンチはいるが、最近はやりのイクメンというのも、高速道路で「殺して当然。」というのを防ぐには有効だろう。車より子供の方が面白いぞ。
by dehoudai
| 2017-10-13 21:25
| にゅーす
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