2017年 10月 09日
接待婦 |
テレビで満蒙開拓団の娘たちが侵略してきたソ連軍兵士を「接待」させられていた、という番組がありました。
この場合は緊急避難的なものであった様ですが、従軍慰安婦は大規模・組織的に行われ、軍命令なしに、軍の意向を忖度したものが、軍の指導・管理のもとに行なっていた、ということでしょう。この問題は一義的には、日本政府が従軍慰安婦は大日本帝国によって強要された、ということを認めないからです。
韓国政府は「おわび」というなら、義務教育でもそのことにも触れるのでなければ「お詫び」になっていないという立場のようです。そうでなければ同じ過ちが繰り返されます。
従軍慰安婦が日本の植民地政策の犠牲者だというなら、朝鮮戦争の折、生きる糧を求めて清涼里の街角に集まって来た、戦争未亡人も朝鮮戦争の犠牲でしょう。キーセン観光はヴェトナム戦争が終わって、韓国からアメリカ兵が姿を消した後の穴埋めだったのではないでしょうか。ヴェトナムにはライダイハンというのもあるようです。そうした女たちの犠牲の上に、韓国の「奇跡の近代化」が組み立てられてきたのでしょうが、国の礎として苦界に沈んだ人々は、十分報いられているのでしょうか。
軍隊に軍歌があったように、産業戦争の軍歌というのもあったでしょう。現在「演歌」と呼ばれている、雨・夜.女・涙で出来た流行歌がその辺りではないでしょうか。
後街人生
碧潭假期
人客的要求
といった産業戦争の軍歌に中譯歌詞付けたものが「海伯之歌」というクレジットでYouTubeに掲載されています。この人哈日族なんでしょうか、「望你早歸」のバックは臺灣人日本軍伕が太鼓の前を行進する、という意味不明のものです。 まだしも林生祥の「細妹你看」の方がありそうな話です。林君は第14代総統就任式でも歌っていましたね。
シンゾー君は安保法制で
ロケットマンがミサイルを、、、
とテレビを煽っていますが、次に来るのは
非常時には基本的人権なんて言っちゃいけません。
です。いつミサイルが飛んでくるかもわからない時に、選挙をやるなど、国民の命などどーでもいい、というのが丸見えです。かって山本七平さんがどこかで仄めかしていた様に、昭和の初めの軍部が暴戻支那膺懲だの、鬼畜米英だのといったキャッチフレーズで、戦争にのめりこんでいったのは、戦争に勝つことが目的ではなく、内地を植民地化するのが最後の目的だったのではないかとも思われます。どうもシンゾー君はその辺りが露骨で、、、
為政者としては非常時が来ないようにするのが先。これまでの犠牲者に償うのが先、という感じもします。
「純情青春夢」の初出は
ですね。このアルバムには「純情青春夢」の他にも良い歌がたくさんあります。「牧師的女兒」など、歌詞だけですでに映像作品です。
by dehoudai
| 2017-10-09 13:46
| むーびー
|
Comments(0)