2017年 10月 06日
ShanghaiGirls3 |
文体の速度というのがあって、イシグロ・カズオの「日の終わり」も昔同僚だった女中頭に会いに行く車の場面では、車の速度に合わせて主人公の頭の中を再現しなければならない。
英語の読者を想定しているので、“butler“という単語が出てくると、英語の読者がこの言葉に対して持つ「語感」を把握しないと、先に進めない。”maid”も秋葉原のメイド喫茶ではなく”Maiden Head”はウィンザー城の下にあって「ここでボランティアをしてますと、王族の方ともお話をする機会があるんざーます。」となってしまう。
“ShanghaiGirls“の文体の速度はイシグロ・カズオと違って「息もつかせぬ展開」というのがハリウッド映画の速度に似ている。舊金山天女島という、名前だけは可愛らしい場所にある移民センターで、泣きじゃくる妹に「私、赤ちゃんができたの。」と告白された「私」は仰け反ってしまう。
「私」と妹で食い違いがあるので、いつまでたっても書類審査が終わらないのは、移民センターで「私」の子供として出産するという妹の作戦だったのだ。
あまりネタバラシをやるのも考えものなので、先へ進もう。移民センターは”Hotel on the Corner of Bitter and Sweet”に出てくるCanpHarmonyと同じようなもので、「私」は世話焼きおばさんから様々な知恵を授かり、無事息子ではなく娘を授かる。
子供は「授かる」ものだというのがこれまでの日本人の感覚だったが「房事」というのも「私」の時代と、明治初年生まれの「義父」と、現代の我々では違うのだろう。
文体の速度というが、これは識字率の低かった時代、物語は自分で楽しむというより読んで人に聞かせるものだった時代から発達したものだろう。三遊亭圓朝の「牡丹灯籠」など活字になっているだろうが、舞台で圓朝がやるのと同じ速度で読まなければならない。
本書も文体の速度が命ずるままに、わからない単語があっても気にしないでどんどん読み進む。文体の速度がハリウッド映画と同じ、というのは Luth Ozeki の"All Over Creation"を読んで気がついた事だ。ひょっとするとこれが紙の新聞よりTwitterの方がなじみが良い、というアメリカ文化かもしれない。
要は二丁拳銃早打ち文化であって「持ち帰って精査の上、ご回答申し上げます。」というのが日本の役人の定型文だが、これが米国なら月曜日に役所へ行くと机がなくなっているのだろう。日本ではこれが逆で、馬関戦争の頃も川路聖謨などが「持ち帰って精査の上」をやらなければ日本国は植民地になっていたやもしれぬ。しかし長門屋へ頼んだモリとカケがいつまで待っても来ないのも困ったもんだ。
by dehoudai
| 2017-10-06 08:26
| ほん
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