2017年 06月 18日
骸骨じいさん |
台北行き普通列車は混んでいました。大勢立っています。
停まるたびに座席が空き、次の人が座ります。私もバックパックを下ろしてなんとか座席の一番後ろ、トイレとの間に立ち席を確保。子供らは床にへたり込んでゲームをやっています。 そして前を見ると骸骨じいさんの後頭部が目に入ってきたのであります。
右手は肘から先が無い棒のようなもの、左手は肩からありません。そして骸骨の1/3ほどがちょうど中華鍋を中華おたまで激しく殴りつけたように凹んでいます。凹みは中華鍋のようにテラテラと黒光りしています。 不機嫌な老人、と言った様子でした。私は密かに彼に「骸骨じいさん」という名前を献上しました。ついに真打ち登場です。
などと思っていると再び雷雨。台北大學ではベンツが流行っているようですが、屋根の無いところに止めると高級服が台無しだぞ。
屋台を広げようという親爺が笠を持っていたので「売ってくれ。」というと「こりゃオレんだよ。売るのはナイ。」ということでした。 まだ早いのですが、桃園機場のイートインでケータイの充電をしながらwifiを使い、仮眠。 夜中過ぎに再見台灣でありました。
停まるたびに座席が空き、次の人が座ります。私もバックパックを下ろしてなんとか座席の一番後ろ、トイレとの間に立ち席を確保。子供らは床にへたり込んでゲームをやっています。
右手は肘から先が無い棒のようなもの、左手は肩からありません。そして骸骨の1/3ほどがちょうど中華鍋を中華おたまで激しく殴りつけたように凹んでいます。凹みは中華鍋のようにテラテラと黒光りしています。
そのうちに馬鹿嫁の息子が飽きたのか母親のところに来てぐずります。
座る。
と言って駄々をこねているようです。馬鹿嫁が座席を立つとしばらくはトランスフォーマで遊んでいますが、すぐに
お母ちゃんも座らなきゃ嫌だ。
と喚きます。周りの乗客は困ったものだという顔をしていますが、馬鹿嫁は気が付きません。
これが2・3回繰り返された後で、ついに骸骨じいさんが立ち上がって馬鹿嫁と馬鹿息子を座らせると、馬鹿嫁に意見を始めました。
先ほどまでの不機嫌な老人という表情は、思慮深い人生の先輩、というものに変わっています。
困った息子だ。
などと非難するのでは無く、
良いかな、子供を育てるというのは人生でも最も幸せなことなのだよ。
と言った調子で諄々と諭しているのでしょう。馬鹿嫁は神妙な様子で聞いていました。まあ3歳ぐらいの馬鹿息子は仕方ありません。
私は骸骨じいさんの黒光りした凹みを思い出していました。
年恰好はふた周りと違いそうにありません。ひと周りかそこらでしょう。工場か工事現場での労働災害といったところかもしれません。しかし私は別のことを空想していました。以下は私の根拠のない空想です。
骸骨じいさんが負傷したのは戦場かもしれない、という空想です。私よりひと周り上というと、太平洋戦争ではないはずです。金門砲戦というのもありましたが、もしかするとヴェトナム戦争というのもあるかもしれません。骸骨じいさんの骸骨の一部と脳みその一部と両手は、戦友とともにヴェトナムの大地のどこかに眠っている、ということもあり得るのではないでしょうか。
ヴェトナム戦争における中華民国軍というのは図書館やネットで見ても、全く出て来ません。台湾の近代史でも最暗黒部分ではないでしょうか。
その向こうには国共内戦があります。ヴェトナム北部に逃げ込んだ中華民国軍がどうなったのかも、よくわかりませんが、中越戦争まで後を引いていたものがあるはずです。
そしてサイゴンは潮州人が作った街、ということで、ここにも中華民国軍の人脈が流れていたはずです。サイゴン陥落後のボートピープルと呼ばれる人々の中にも、中華民国軍の元軍人が混じっていたかもしれません。
図書館にもそんな記述はありません。ウェブを見ても「軍事顧問団のようなものはあったかもしれない。」程度です。何せ30年前まではそんなことを話せばある日「行方不明」になってしまう時代が続いていたのですから、関係者が成仏するまでは光が当たらない部分でしょう。
米国は国共内戦の折、蒋介石政権は「ゴロツキだ。」ということで手を切ろうとしましたが、朝鮮戦争によってそうもいかなくなった。という指摘もあります。冷戦構造で米国がヴェトナム戦争に引きずり込まれましたが、南ヴェトナム政府も黒道、麻薬業者といったゴロツキの集まりだったようです。
沖縄陥落後「水平線が見えなかった。」という輸送船に積まれた本土決戦用の資材は、朝鮮戦争で台湾に運ばれたようですが、それもその後どうなったかは定かでありません。
新聞には戦後国民党に接収された個人資産を返還しろ、みたいな記事が見られます。臺灣國現代史の最暗黒部分に光が当たり始めるのも、これからでしょう。
1948年5月19日の「中華民国反乱鎮定動員時期臨時条項」を見ると、アベシンゾー君の理想とする国の形が見えて来ます。
戦後日本の民主主義はタナボタだったので、時代とともにばかばかしくなり、ゴロツキに乗っ取られています。これと対照的に、血を流してゴロツキから勝ち取った台湾の民主主義はすでに日本を追い抜いていることが「報道の自由」「国民の幸福度」から見て取れます。
電車は刈田の景色など眺めつつ台北駅へ。
再び台北駅の訳の解らなさが襲い掛かります。 広大な構内で、隣接しているにもかかわらず台灣鐵道・台湾高速鐵道・桃園機場捷運の案内が別々で連携が悪いのです。この国にもやはり公務員は職業ではなく身分なので、利用者の便を考えなくても良い、と考える人々はいるのでしょう。そういう人々に限ってすぐにマスコットキャラクターを使いたがるのも日本と同じ。
再び台北駅の訳の解らなさが襲い掛かります。
台北大學の二手本屋と二手dvd屋を見物。 「二手」というのは”second hand”の直訳です。茉莉書店で買う金無いし中国語わからんしという、私のようなものに好的書を発見。この店が開いた即売会のカタログです。 明代の史記纂からアサヒグラフ三島由紀夫割腹すまで、現代台湾の知識人の頭の中を覗き見する気分です。
董事長的少年時代のcdを買ってしばらく歩いたら、財布を忘れてきたことに気がつきました。面白すぎると時々しくじります。すぐに戻ると
お客さんが拾ってくれました。
とレジに置いてありました。
謝々。
日曜日式散歩者のdvdはここにもありませんでした。元が香港モンなのですが、香港と言いつつ中華人民共和国に返還され、二手書店店主行方不明の時代となっているので、全編日本語のdvdなんてのは危険物なのかもしれません。
屋台を広げようという親爺が笠を持っていたので「売ってくれ。」というと「こりゃオレんだよ。売るのはナイ。」ということでした。
10.骸骨じいさん
9. 道端の芸能
8. 国姓爺合戦
7. 聖観音
6. 解らん街
5. 竹筏
4. 台東人
3. 東京賓館
2. 目付きが喧嘩腰
1 .台湾國
by dehoudai
| 2017-06-18 11:08
| まちづくり
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