2017年 06月 17日
国姓爺合戦 |
電車で台南に到着。台東と高雄で駅前というのには懲りていたのですが、台南では駅前に鐵道大飯店というのがありました。
台南車站前の鐡道大飯店は一泊980元と謳いながら、ナンタラカンタラと言って、「?」と言っているうちに1,080元を取られました。よく見るとお食事券120元が付いています。さぞかし昔風の豪華な餐庁が生き残っているのかと思ったら、翌日聞くとそこのセブンイレブンで使えとのことです。
台南は人口186万程と大きな街です。しかし浜松と比べて見ると、コンパクトにまとまっているとも言えます。 人口80万の浜松は天竜川・馬込河口・佐鳴湖とそれ以西の斜面地を除いて、一面ベタに市街地が広がっており、湖西市、磐田市ともベタにつながっています。 これに対し人口186万の台南には陸側にもあちこちにオープンスペースが広がっています。中国語で「都市」と言わずに「城市」という言葉を使う所以でしょう。「城」は城壁であり、城壁の中は高密度な市街地、城壁の外は田園、という古くからの街並みのあり方がここでも継承されているのでしょう。
一見大きな堀と見えるのは干潟を市街地にした折の水路で、その左に突き出した部分が安平古保です。
貸自転車もありましたが、炎天下遠出は無理です。安平古保へは88番99番が観光バスらしかったのですが、8番9番とどう違うのか、切符売り場で聞いても教えてくれそうにありませんでした。13時過ぎ、やってきた9番の路線バスで安平古保へ向かいます。
台南は古くは台灣府、1624年澎湖諸島を追い払われた和蘭陀人が、その代わりに台灣領有、という明との取り決めによって熱蘭遮城を築いたそうです。 1662年大陸を追われた明の遺臣、鄭成功が和蘭陀人を追い出して安平城・王城とします。
鄭成功は徳川家康に使いを送って滅清復明への助力を願いますが「それどころじゃナイヨ。」と断られます。18世紀初めに近松門左衛門がこれを元に「国姓爺合戦」なる浄瑠璃を書いて大当たりを取るので、日本人にとってはこちらの方が馴染み深いのではないでしょうか。南伊豆小稲では毎年9月に「和藤内千里ヶ竹虎退治」をやっています。
バスに乗るのが面倒になり、鐡道大飯店のセブンイレブンで木瓜牛乳と緑茶を買い、持ってきたバタピーを食って夕食の代わり。窓からしばし台灣海峡の夕日を見学。 暗くなっても海の一部がキラキラと光っています。はて、工場地帯などあったかしら、と思ったのですが、そのうち火を消してしまったところを見ると、漁船だったのでしょう。
翌朝は徒歩で当時の行政府赤嵌樓へ。 開園8時30分とあり、入口が閉まっています。ところが見ていると近所の人は柵の間から手を入れて掛け金を外し、あちこちで体操などしています。65歳以上無料とあるので、これは別に構わない、ということでしょう。65歳以上であっても外国人は50元だったか100元だったかが必要なのですが、この際失礼して侵入。
これもどちらかといえば和藤内で話が通じるというところでしょう。
小稲の虎舞は鄭成功墓前奉納をしたことがあるそうですが、観客は「ふーん。」とイマイチの反応だったようです。あれの面白いところは、静かな海辺の村が突然歌舞伎小屋になって、舞台装置が大音響を立てる、翌日になると昨夜の夢は消え失せて、元の静かな漁村に戻る、というところにあるのではないでしょうか。
安平古保門前には明華園天字團というのがおって、RolandoのPAのヴォリュームを目一杯にして連日破れ鐘のような音を立てているので、18世紀の歌舞伎の舞台装置では太刀打ちできないと思います。どうせやるなら歌舞伎座に国性爺合戦が掛る時に、三段目を小稲の虎舞にしてもらい、18世紀の舞台装置で歌舞伎座全席を揺るがす大音量を上げるというのもあるでしょう。
台湾語で国性爺合戦の演目を説明したプログラムを用意して台湾で売り出す、安平古保にもポスターを貼ってもらう、ということにすればきっとお客さんが来るはずです。
駅から山線経由で台北へ。
10.骸骨じいさん
9. 道端の芸能
8. 国姓爺合戦
7. 聖観音
6. 解らん街
5. 竹筏
4. 台東人
3. 東京賓館
2. 目付きが喧嘩腰
1 .台湾國
by dehoudai
| 2017-06-17 16:22
| まちづくり
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