2017年 06月 16日
解らん街 |
花蓮から海岸公路をバイクで往復して、ちょっと疲れ気味なので、花蓮から飛行機で高雄へ。
昔の写真は今打狗鉄道故事館にあった
打狗驛站100年物語
謝明勲
文化部文化資産局/高雄市歴史博物館/中華民国鐵道文化協會
所収のものです。
確かに古い線路敷は公園・自転車道路などに使われているようです。 遠くに近代的なウォーターフロント開発も見えるのですが「下町」という感じではありません。 くたびれ果てて道端の全家便利商店で地図を買って見るのですが、これも広告ばかりで見難いこと甚だしい。現在の高雄車站が街の中心とも見えないのですが、とりあえずそれと思しき方角に向かううち、高雄国際星辰旅館なるところでギブアップ。2,000元なのですが、もう歩けません。
打狗驛站100年物語
を眺めて見ると、高雄の街の解らなさの来源がおぼろげながら掴めるようです。
1899年 陸軍軽便線打狗停車場
1908年 縦貫鉄道打狗停車場南遷工事
1936年 鳳山を通り、港湾施設を回る環状線計画・現在の高雄駅
1908年開業の縦貫鉄道打狗停車場は、台灣製糖橋頭製糖厰の操業開始とともに主要輸出品の砂糖あるいはバナナの積み出し港の鉄道駅となりました。
犬さんは置き土産も。今日も元気だ快食快便。
仏教、別の見方をすれば多神教の世界では「人間は神がその姿に似せて作った特別な存在。」とは考えないようなところがあります。
ヒトも生き物、イヌも生き物、と言ったところでしょうか。ヒトが「今日も元気だ快食快便。」というならイヌも「今日も元気だ快食快便。」というのは当然です。便は「すぐに土に戻りたい」というものですから、土の上で生活する間はそれでうまく回っていたはずです。置き土産に困るのは「集住」によって地面が土であるよりアスファルトの方がヒトにとって便利だということになったからでしょう。
私の世代まではまだ
悪いことをすると生まれ変わったに時畜生になる。
と言って子供を諭すことがありました。あれはヒトも生き物、畜生も生き物という例えではないでしょうか。鈴木俊隆さんはヒトも生き物、ハエも生き物、と言っておられます。
「人間は特別な存在。」というところから「家畜」が生まれ「異教徒は家畜のようなもの」という考えが生まれるのかもしれません。
高尾駅の横は高雄高校、向かいは予備校です。それも日本のように「有名大学」というのだけでなく、各種公務員試験コースもあるようです。 公務員というのは職業ではなく身分なので、うまく潜り込めば一生クビになることはない、というのは解りますが、それが幸福かどうかというとよく解りません。昇級試験コースで一生予備校生だったりして。
電車で橋頭へ。
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1 .台湾國
by dehoudai
| 2017-06-16 23:44
| まちづくり
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