2017年 06月 02日
田植 |
秋の文化祭の相談、ということで江之島町海雲山大昌寺へ行ってきた、田植えが進んでいる。
国家規模で圃場整備をやれば、生産性が飛躍的に伸びる、ということで全国を直線状の五街道で結び、それを基線にして全ての平地を田んぼにしよう、という全国総合開発計画、つまり条里制が始まったのは7世紀のことだ。
武部健一
法政大学出版局 2003年
爾来1,500年近く、お上は「近代化」と称して「大型化・集約化・機械化」を勧めてきたが、圃場の大型化といっても米国のそれが100町歩単位なのに、農水省の言う「スーパーロット」が1町歩単位という頓珍漢ぶりの果てに「お仕度が整いましたので、召し上げてください。」とTPPへ傾斜、戦後食糧危機を苦労して支えてきた小さな農地は捨て子同然だ。
苛斂誅求に耐えてこれまでやってこれたのも、イネという誠にありがたい食物があったからだ。苗を植えれば4カ月足らずで収穫でき、それを中心に一年が過ぎてゆく。8,000年前の栽培種のイネの化石が出たという、中華人民共和国浙江省余姚市河姆渡鎮には今も水田が広がり、街道筋には「非鉄金属」「アルミ加工」「特殊鋼」などという看板のかかった町工場があり、江ノ島など浜松近郊と似たようなものだ。
イネに比べてコムギは必要な降水量は少ないが、ステップ気候の草原が原産なので、畑作灌漑が必要となり、やがて地下水の塩水化が起こり、概ね2,000ほどで砂漠と化してしまうそうだ。21世紀の戦争は「水戦争」という説があるが、勝敗は初めから明白だ。
新羅神社は源太夫堀を作り直した頃のものだそうだ。 日露戦争の戦勝記念碑のようなものがある。 日清戦争は相手が三国志の頃のような軍隊が相手、日露戦争はロシア帝国が崩壊中という敵失で勝利したのだが、肝心なところを知らされなかった日本人は、文明開化の波に乗ってすっかり「戦争ダイスキ」になってしまった。
by dehoudai
| 2017-06-02 12:22
| きせつ
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