2017年 05月 23日
Manchester |
一泊したことがある。
確か駅の近くで客待ちをしていたタクシーの運ちゃんに「安宿はないか?」と聞いて、赤い看板の宿を紹介してもらった、というか、タクシーでレンタカーを先導してもらった覚えがある。何のことはないタクシーの運ちゃんがやっている宿だった。白く塗ってはあるが、残された煙突からすると100年以上前の建物だろう。
うらぶれた街だ。冬の雨が一層侘しい。それには浜松も一枚噛んでいる。マンチェスターの絶頂期は19世紀の終わりではなかろうか。エジプトとインドから綿花を運び、ここで綿布にしたのだろう。それがおかしくなったのが第一次世界大戦だ。ヨーロッパの産業が機能停止に嵌り、日本から世界中に繊維製品が飛ぶように売れた。中にはワイシャツのボタンがノリで止めてある、という粗悪品もあったそうだ。
戦争が終わっても栄光の時代は戻ってこなかった。インド系イギリス人・エジプト系イギリス人の若者は、生まれも育ちもマンチェスターなので、他所で暮らすことができない。築100年以上の家に住み、低賃金労働に甘んじるしかない。楽しみといえばヨーロッパがどこでもそうであるように、サッカー賭博ぐらいのものだ。
サッカー賭博といっても富めるものはますます富み、貧乏人はますます貧乏に、という仕掛けに変わりはなく、賭博で金持ちになった貧乏人も少なかろう。ブレクジットのしわ寄せをもろに受けるのも彼らだ。そこで米国人スターのコンサートで浮かれている奴らは皆殺しにしてもいいのだ、という結論に至る。
何十年か先、中国が世界の工場になって日本など誰も見向きもしなくなった頃。浜松のブラジル系市民・中国系市民・インドネシア系市民は幸せに暮らしているだろうか。
by dehoudai
| 2017-05-23 10:33
| にゅーす
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