2017年 04月 19日
鰹節 |
ものと人間の文化史97
「全て黒潮のおかげ」というわけで鰹漁の現場の描写から始まります。同じような挿絵を使いながら「黒潮」の説明をあちこちで目にしますが、本書のものが一番わかりやすかったです。インフォーマントの氏名がきちんの表示されているのが、さすがGOOD BOOKという感じです。
鰹節
宮下章
法政大学出版局 2000
名著ですね。13年かけて執筆されたという
社団法人日本鰹節協会の
鰹節 全二巻
平成元年・平成8年
の一般向け要約、ということなので、これはもう
THE GOOD BOOK OF KATSUOBUSHIと呼んでも良いでしょう。
「全て黒潮のおかげ」というわけで鰹漁の現場の描写から始まります。同じような挿絵を使いながら「黒潮」の説明をあちこちで目にしますが、本書のものが一番わかりやすかったです。インフォーマントの氏名がきちんの表示されているのが、さすがGOOD BOOKという感じです。
波と風と日差しが実感を伴って迫ってくるのは著者の筆力でしょう。船端に砕ける波と頬を濡らす飛沫だけでなく、船体を揺らすうねりまで感じられます。
続いてフィリピンからインドネシア・キリバスまで、そしてモルディブまで、世界の津々浦々島々の鰹漁と鰹節を概観します。ここにも様々なヒントが言及されています。鰹節は古来保存法であったこと、土佐造りがなぜ松葉で燻されるかというと、あれは虫除けであったと想像できます。私の小学校に上がる頃、遠州舞阪港にはまだ縁台というものがあり、夕暮れになると通りに据えた縁台の上にはビール、下には、蚊遣りの松葉が焚かれていたことを思い出します。
これはモルディブでも似たようなものでしょう。そしてスリランカに運ばれるのは今でいうなまり節のようなものでしょうか。
今ではSEIYUUを名乗るWALMARTが、第二はやぶさ丸の鰹をあぶったものを「土佐造り」と称して売っていますが、あれはスリランカ風のカレーにして食べれば良いと気づいた次第。
続いて万巻の書を繙いて鰹と鰹節という言葉について考察します。「カマトトとはなんぞや?」みたいなもんです。こういうのを訓古学というのでしょうね。難しくてよくわかりませんが、鰹と鰹節が日本独自のものであることがわかります。
そして第4章以下
景行天皇53年
磐鹿六獦命が角弭で頑魚をとらえた。
という神代から説き起こして、江戸の初鰹趣味まで、日本料理の正体ともいうべき鰹節が完成するまでを、時系列に従って述べます。好事家必読の書です。
著者の宮下章さんという方は本書刊行時78歳だそうです。40代から凍豆腐・昆布・海苔・鰹節と10年単位ぐらいで一つのものに打ち込んで来られた一生というのも、幸せな人生だとお見受けします。ちょっと憧れますね。
古代氏文集
沖森卓也・他編
山川出版社 2012
によると高橋氏文原文次のようです。ただし、いつの時代の原稿用紙か見にくいので、字詰改行を読みやすくしました。
『本朝月令』六月「朔日内膳司供忌火御飯事」
(高橋氏文云、)掛畏巻向日代宮御宇
大足彦忍代別天皇五十三年癸亥八月、詔群卿曰、
朕顧愛子、何日止乎。欲巡狩小碓王 又名倭武王 所平之国。
是月、行幸於伊勢、転入東国。冬十月、到于上総国安房浮島宮。
爾時、磐鹿六鴈命、従駕仕奉矣。 天皇、行幸於葛飾野、令御獦矣。
大后八坂媛波借宮爾御座、磐鹿六鴈命亦留守侍。
此時、大后、詔磐鹿六鴈命、此浦聞異鳥之音。其鳴
駕我久々。欲見其形。即、磐鹿六鴈命、乗船到于鳥許、
鳥驚飛於他浦、猶雖追行、遂不得捕。於是、磐鹿六鴈命、
詛曰、汝鳥、恋其音、欲見貌、飛遷他浦、不見其形。
自今以後、不得登陸。若大地下居、必死。以海中為住処。
還時、顧舳魚多追来。即、磐鹿六鴈命、以角弭之弓、当遊漁之中、
即着弭而出、忽獲数艘。仍、名曰頑魚。此今諺曰、堅魚
今以角作鉤柄、釣堅魚此之由也
by dehoudai
| 2017-04-19 19:41
| ほん
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