2017年 04月 07日
宿場町 |
先日は天宮神社の十二段神楽を見に行ってきたのだが、森町の落魄ぶりには驚いた。
もともと遠州森町は秋葉街道の宿場町として栄えたところだ。奈良盆地を見ればわかるように、古代の道は山の裾、平野との継ぎ目に発達している。掛川から豊川へ通ずる姫街道も、そうした古代の東海道の一つだ。それと遠山谷を下る遠州街道ーこちらからいえば信州街道の交差点が森町だった。ここに遠江一宮が置かれたのも、そうした交通の要衝だったからという側面もあるだろう。
蒸気機関車が発明されるまで、人間の移動速度は概ね5km/hだった。冬将軍にやられたナポレオンがモスクワ近郊からパリに逃げ帰った時の平均時速が7km/hだったそうで、石畳に戦車用の溝を刻んだローマ街道をローマ時代の戦車が走るのがやはり7km/hだそうで、1900年間高速化はされなかった。それがほんの30年後には蒸気機関車なるものが発明されて、一挙に70km/hとなってしまった。「文明開化」というと日本のことだと思われがちだが、産業革命という観点からは、同じ時期にあたり、それをちゃんと受容するだけの人材が揃っていたのが、日本が列強の植民地にならずに済んだ一つの要因だろう。
江戸時代の日本人は1日十里移動したそうで、現代の我々からすれば相当な健脚だ。課題はそうやって暮らしてきた遠州森町のような宿場町が、これからどのような暮らしになるのかだろう。
世界的な実業家を輩出した遠州森町も、今では自家用車が無ければ生活は成り立たない。 世界的な実業家たちは在所の産業にはあまり興味がないようだ。Rolandの創業者みたいな人は例外だが、これも採算が合わなければ企業としては動けないだろう。
by dehoudai
| 2017-04-07 18:44
| まちづくり
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