2017年 03月 18日
海の柩 |
吉村昭
別冊文藝春秋112 1970
吉村昭自選作品集3 1990
森友学園の籠池さんは在特会の内紛でトカゲの尻尾にされてしまったようですが、今度はいよいよ稲田朋美防衛相の国会答弁が迷走しているようですね。どうも戦争には謀略がつきもので、隠蔽が体質になっているようです。
戦争は嘘の親玉です。
占守島守備隊が米軍の上陸した沖縄へ向かう途中の輸送船が、襟裳岬で米軍の潜水艦に撃沈された後の話。現場指揮官はとっさに隠蔽を図り、兵を見殺しにする。米軍の沖縄上陸後というから、1945年4月以降でしょう。6月18日の浜松大空襲も、軍上層部は事前に米軍の企図を知りながら、住民を見殺しにしています。
「海の柩」は沖縄返還の頃に読んだことがあり、もう一度読んでみたいと思っていたのですが、作者が水上勉かと勘違いをしていたのです。吉村昭は「戦艦武蔵」「深海の使者」など、戦記に即した記録文学という印象があったのですが、戦争の表側だけでなく、嘘の親玉の裏表を広く残している様ですね。
背中の勲章
東京大空襲を事前に通報しながら、通報は有効に活用されず、Japanese POW No.2 になってしまった人の話。東京大空襲について言えば謀略が行き交う中で、日本軍上層部では
Information:事実
Intelligence:価値判断を伴った事実
の使い分けが上手くいっていなかった、という姿が見えます。
日本軍も「上官におもねる」という日本型の組織だったものを「是々非々」というものに変えなければ、戦争には勝てなかったのでしょう。戦時経済計画は2年以内に敵が降伏しなければ破綻する、というものだったそうで、その後は希望的な仮想の数字を並べたものだったようです。戦争は嘘の親玉です。
雨が降りそうじゃないですか?
という否定形疑問文に対し、英語では
事実か事実でないか
でyes/noが決まりますが日本語では
あなたの発言に賛同する/しない
ではい/いいえが決ま李ます。この日本語そのものから変えていかなければ、悲劇は繰り返されるでしょう。これは難しいでしょう。
総員起こし
1944年4月13日伊予灘で沈没した、巡洋潜水艦乙型伊号第三十三の事故と引き上げについて。作者が本作を思い立ったのは、沈没から9年後の引き揚げ直後、前部魚雷発射室居住区で撮影された写真を目にしたためだそうだ。白骨になっているはずの乗組員が、水深60mの無酸素状態で腐ることもなく、生けるが如き姿を現したのだそうだ。しかも天井からのチェインを首にかけて縊死した乗組員の、
大腿の付け根から突出しているものが見えた。隆々と勃起した陰茎だった。若い男性の激しい生命力がそこに凝結しているような、逞しく力感にあふれた陰茎だった。ハッチを開けたことで酸素が流れ込み、遺体は急速に姿を変え、生けるが如き姿はハッチを開けた直後に撮影された写真だけが残っているそうだ。濃厚なメタンガスが発生して、後に造船所の技術者3人が死亡している。
事故原因は吸気筒上部の弁に工事中に捨てられた木片が挟がっていたためだそうだ。既に嘘と隠蔽という軍の体質が国民に広く行き渡っており、「大和魂の暴風」が異議を差し挟む道を閉ざしていたのだろう。
往復ビンタを野蛮だと蔑んでいた海軍でも、「大和魂の暴風」の風速が増加するに従い、精神注入棒が振り回されるようになった。国民も軍の見え透いた嘘にげんなりし、勝ち戦の間にはチリ一つなく清掃されていた現場が、目に見えないところに落ちた木片を清掃しよう、とは思わなくなっていたかもしれない。
伊号第三十三が引き上げられた1954年は「神武景気」と言われた経済成長の始まった年だ。すでに1950年からは「他国の戦争は儲かる」という「朝鮮特需」が始まっていた。焼津駅には1954年に「魚類専用ホーム」が作られたが、同年「核兵器で世界征服」と「刺身で世界征服」という第五福竜丸事件が起きている。これが1958年からは「岩戸景気」となり、1961年から池田勇人の「所得倍増計画」が始まる。
明治以来「景気ー不景気」という波が戦争などによって作られてきたが、1950−60年代は他国の戦争ではなく、産業近代化が経済を牽引していた。「世界の工場」となった日本は1993年のバブル崩壊の頃から「世界の工場」を次の走者に渡すことになったが、未だに「景気ー不景気」という波を期待する向きもある。焼津駅の「魚類専用ホーム」は1984年に廃止。
シンゾー君が声を張り上げてともみちゃんを擁護すればするほど、嘘と隠蔽に国民がげんなりするばかりだ。
by dehoudai
| 2017-03-18 09:25
| ほん
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