2017年 02月 27日
モガ |
昭和4年誠心女学校卒業。東京家政学院本科入学。鎌田区矢口の兄の家に住んだ。
当時スキーが最新流行のレジャーで、湯沢あたりでレルヒ少佐の一本杖スキーをやっていたらしい。
アルバムには雪国の人が見たらうんざりしそうな写真も貼ってある。
静岡一の商家で倉が三つも有り、良縁だと母が飛びついた。
大方の日本人が栄養失調に苦しみ、結核が国民病だった時代なので、売り出し用の写真はふっくらとしている。
昭和7年春離婚。
とても耐えられない、ということで脱走してきたらしいが、脱走というのがモガだ。その後は「腫れ物扱い」だったのかもしれない。
戦後の台湾で活動家青年が蔣介石一味に捕まって死刑となり、刑場に送られる時に手向けた歌が「幌馬車の歌」だったというが、これも昭和7年の歌だ。
幌馬車と言っても西部劇ではなく、安曇野、上高地といったノリだろう。宮崎駿の「風立ちぬ」に「山の療養所」というのが出てくるのも、同じ時代だ。
春の夜 銀座
笠松紫郎
渡邊彰三郎 昭和7年
大正ロマンと言いモガと言っても、所詮は「他国の戦争は儲かる経済」であり、国民の大半は飢えに直面していた。
それにもかかわらず、夜の銀座通りには人が溢れ「都おどり」の後、道端で寿司をつまむ紳士淑女もいただろう。
モガというのもそっちの口で、震災の前に日本橋の河岸で、歌舞伎の好きな母に寿司を食わせてもらったことがあるそうだ。
税金はすべて戦艦大和と零戦にするから国民は自給自足しろ。という二宮尊徳が流行ったのもこの時代だ。
兵士と同じような給料をもらっていた候補生が、見習士官になると途端に給料が10倍になった、という階級社会だった。高崎辰之助さんが満州へ行くと「関東軍は財閥を許さん。」ということだったが、第一次大戦でぼろ儲けをした久原財閥など、今でもテレビでおなじみだ。
トヨタの社長の給与は年1億円程だったものが、海外へ間口を広げた途端、海外子会社の社長連の給与が数億円なのに、示しがつかないと10億円程にさせられたそうだ。2.26の鬼たちも草葉の陰で泣いているだろう。
銀座へ画材か何かを買いに行こうと思って、新橋駅を出たら、兵隊さんが道路に機関銃を据えて通行止めをしていたので、そのまま家に帰った。
昭和12年
ドレスメーカーに入学。本人は洋裁で身を立てようとしたと言うが、等身大のお人形さんごっこをやっていたのではなかろうか。
伊東深水先生の門人に日本画を習ったというが、川瀬巴水はご存知ない。摺物は庶民のものなので、お嬢様とは関係ないのだ。
大杉栄が「陸軍の総意」で甘粕正彦さんに殺されて以来、モダンボーイも追い詰められてゆくが、親の決めた相手から脱走してきたモダンガールも次第に追い詰められて、ついに「満州国高官」だという芳川村の村人と結婚するに至る。
後で考えるとあれは「偽満州国高官」だったのだが「偽」が「国」に付くのか「人」に付くのかが思案のしどころ。これもまあ一つの戦時結婚だ。
世界の工場が欧州から米国へ
世界の工場が米国から中国へ
というのは成り行きなのだから、何も戦争をやることはないと思うのだが「工業文明の禅譲」とはならないものか。地球環境の破壊とか、戦争とか、知恵の無いことだ。
「お金は困らないための道具」なのに「お金は幸せになるための道具」と勘違いしている「お金のポチ」が地上には多いのだろう。
by dehoudai
| 2017-02-27 23:04
| きせつ
|
Comments(4)