2017年 02月 11日
茶屋 |
忍術を危うく逃れて東の茶屋へ。ここにも三階建てがあります。
浜松市の中心市街地は無粋な連中が昭和20年6月18日に焼き払ってしまいましたが、三ヶ日の四角には三階建ての旅館が威容を誇っていました。
北国なので路地裏に至るまで側溝が立派です。 や、あそこにも三階建てがある、と行ってみると、案の定めで「中や」というお茶屋が公開されていました。 中は当時のまま保存されていて、芸妓の装束やら飾り道具やらが展示してあります。三階は見られるのか聞いたら、非公開で、物置に使っているそうで、残念。
注意してみると、あちこちに三階建てがあります。
慶応3年(1867)に京都、江戸で木造三階建ての禁令が解かれたが、大正8年に市街地建築物法により禁止されたので、3階建以上の木造住宅はわずか50年余の間しか造られなかった、というわけでなかなか貴重なものだそうです。
通りには観光客が群れていて「美人」なんぞやっていますが、
水上勉の「五番町夕霧楼」なんぞ読んだことはあるのでしょうか。あれは女子が経済的人格を認められなかった時代のハナシで、などと言っていると、現代でもオボコいのがゲスなのに騙されたり、芸伎が同朋五人で足抜けしようとして、裏切り者が抱主にご注進していたぶられたりたりと、まあ似たようなものです。
水上勉の「五番町夕霧楼」なんぞ読んだことはあるのでしょうか。あれは女子が経済的人格を認められなかった時代のハナシで、などと言っていると、現代でもオボコいのがゲスなのに騙されたり、芸伎が同朋五人で足抜けしようとして、裏切り者が抱主にご注進していたぶられたりたりと、まあ似たようなものです。
こうした軟所にくる人々は「鬼ヶ島へ鬼退治」という気分でもないでしょう。右端は通訳君なので板橋雑記の教坊美女三千人くらいは知っているかもしれません。
続いて近江町市場へ。カニに恨みはないので、二階へ上がって寿司屋を冷やかしてみまました。 カウンターにもモニターが付いていて、回転寿し風なのが不粋(ぶすい、ではなく、ぶいき、と読んでくださいね)ですが、大将が迫力なので、座ることに。
お、お品書きの「入荷なし」ってのが送りの冷凍モンと違ってて良いですね。
に始まって、褒めまくります。
冷酒っていうと、なんか今風で、燗酒が本来形でしょうね。
若い頃は一通りやんちゃしたんで、今はアホな客も相手にできる、って感じかしら。
なんでもいいから、とにかく褒めまくっていると、だんだん眼光が差してきて「寿司の神様」風になってきます。やはり寿司屋のカウンターは褒めながらが美味いです。
記憶にあるのはシアトルのレイクユニオンかどこかで、やんちゃは一通りした、という工務店のシャッチョサンのお供をした時、
お、お兄さん何処の出?ハワイか。日本語わからんのに寿司屋になりたい?感心感心。日本語も勉強してね。
とやっていたら、背中に視線がグサグサと刺さるのが感じられました。テーブルで桶食いの連中から、
お、日本人がカウンターに座ったぞ。
というわけで、何をどんな順序で食べるか、鵜の目鷹の目なんでしょう。まずコハダ、イカ、あとはシャッチョサン次第みたいな。洋食が「注文、つまりORDER、つまり命令」であるのに対し、和食では「食べさせたいものを食べる」のが美味しさの極意だと思います。洋食は金主が神様なので、プレスリーが
レアだぞ、焼いちゃあいかん。
とやっていた通り、神様である金主の能力以上のものは食べられません。ところが和食では、料理の神様の食べさせたいものを食べるのが、一番美味しいものにありつく道ではないでしょうか。八百万神の幸わう国なので、寿司屋にも十人に一人ぐらいは神様がいるのです。
茶屋
by dehoudai
| 2017-02-11 20:13
| まちづくり
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