2017年 02月 11日
片山津 |
垂れ込めた雲の下を走り続け、バスは片山津へ。水面の景色は800年前とそれほど変わらないのではなかろうか。水鳥が寒そうに揺れている。
街の燈も灯ってはいるが、 シャッターも多い。 というわけで片山津温泉光楽苑なる陣屋に着陣。部屋は十帖、寄付三帖、小間四畳半に広縁四畳半という、東京の小洒落たホテルなら一泊20−30万のスイートである。殿様の本陣は上段六帖に供侍十二帖という豪勢なものであった。
宴会場へ出陣すると、カニづくし。 蒸して、焼いて、汁、カニ飯なのだが、まだカニのお造りだの何のと三皿もカニが出てくると、カニ退治というか、カニ責めといおうか、世の中カニを親の仇と心得る方が、よほど多いのだろう。
小生は先ず露払いで陣取りに掛る。サザンの「イヤな事だらけの世の中で」は桑田君が病気をして「いつ死んでも幸せ。」という心境を詠ったものだ。
美少女が歌った「カスバの女」は父の持ち歌、といっても当時はkaraokeなるものがなかったので、鼻歌だった。
みなさんマイクを握るとマイナーになってしまう、という方が多い。 日本がやんちゃだった頃、最前線で一流の仕事をしてきた方ばかりだ。日本の高度経済成長の原動力は「仕方ない」というものだったのだろう。日本海の景色には似合うのだろうが、私はこれが苦手だ。
私の歌の好きな人はみんな悲しい人達ばかりだ
早くこんな歌が唄われなくなる日が来ると好い
そして古賀メロディも早く去れ
私も早く消えたいこの世から日本から
というのは音楽著作権協会の古賀政男記念館にある、古賀政男さんが死ぬ2日前に書いたという遺書の様なもの。「諦める」と「明らめる」の違いが難しいところだ。
小生は「岬めぐり」を突っ込む。昨年夏に同級生のMくんが来たので、その記念なのだが、すでに私はジジイ、彼女はババアである。
総代さんは天地真理しか歌わんとかなんとか抵抗していたが、真打の務めで加山雄三を一発。というわけで片山津の夜は更けていった。と言っても、皆さん遊びはやり尽くした方々なので、午前様にはならなかったようである。
目が覚めてもやはり氷雨に加えて物凄い風。浜松と違い、これが海から吹きつけてくるのが辛い。
朝食の仲居さんに混じって若者がいたので、皆応援気分。元々は温泉地、というより北前船の着く湊だったのだろう。それが高速道路で若者が東京などへ吸い上げられてしまう、という危機感が観光開発の原動力ではないだろうか。
その昔関所破り様御一行が前夜旅の疲れを癒したのが片山津であったらしい。これは武蔵坊弁慶が日本海からの風を計りつつ、関所破りの秘策を練っているところ。
「安宅関」のイメージはなんと無く遠くに日本海を望む山道、というものだったが、遮るものが何も無い海沿いの道というのが真相らしい。確かに山道では間道へ逃れる術があるが、海沿いの砂山では身を隠すのも難しかろう。
「安宅関」のイメージはなんと無く遠くに日本海を望む山道、というものだったが、遮るものが何も無い海沿いの道というのが真相らしい。確かに山道では間道へ逃れる術があるが、海沿いの砂山では身を隠すのも難しかろう。
片山津
by dehoudai
| 2017-02-11 14:55
| まちづくり
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