2017年 01月 15日
関東間 |
しからば江戸時代の建物の平面計画は、寸法的にはどうなっていたか、というのが興味の至るところだ。掛川市には安政の地震の後で建てられた二の丸御殿が残っている。しかしこれは大きすぎて、増築を重ねているようなので、既存部分との取り合いに食い違いがあったりして、面倒だ。そこでちょうどいいネタになりそうなのが旧横須賀藩書院だ。
現在は袋井市の医王山薬王院湯山寺に寄進・移築されている。遠州三山の一つ「目の薬師」だそうだ。元禄12年4月(1699)竣工という、江戸時代初期のシンプルなオフィスなので、当時建物の寸法をどう決めていたかが窺われる。
修理報告書の付図はミリメートル・柱芯々表記なので、寸法は支離滅裂だ。とりあえず修理報告書の付図をトレースして、尺寸表記に改め、眺めてみた。すると芯々制・内法制というのではなく、畳の寸法を基準寸法にすれば、作図しやすいことがわかった。畳の基準寸法を2.9尺x5.8尺とすれば、5.8尺x2=11.6尺、5.8尺x2.5=14.5尺となり、これが基準寸法となっているのではなかろうか。
これに柱の寸法0.38尺x0.38尺を足して芯々表記にすると、支離滅裂な寸法が出てくる。これでは到底どのようなグリッド計画で設計されたやら、見当もつかない。文化財保護法というが、これでは文化財破壊法だ。もっとも現場では尺寸で作業をしているだろうから、混乱しているのはのこぎりも使えないようなアカデミーの教授連だけだろう。
by dehoudai
| 2017-01-15 12:15
| まちづくり
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