2017年 01月 02日
冬の旅2 |
路面が緩むまで市内を散策。
本間様も朝なのでひっそりしていました。
本間様も朝なのでひっそりしていました。
しかし本間様だけでなく、幕末明治の欧米からの来訪者が呆れる通り、百万石の大大名でも日常生活は、ヨーロッパの王侯貴族のような贅沢をしていたわけではないようです。ヨーロッパの繁栄が植民地搾取の上に成り立っていたのに対し、幕藩時代の日本は「自給自足」が国是でした。
そのヨーロッパが植民地の祟りで断末魔となっているのに対し、日本は自給自足の時代に蓄えたもので、これまで産業近代化を進めることができたのでしょう。しかし文明開化は植民地だというわけで朝鮮・台湾・満州へ出かけた国策企業が、未だに産業の根幹を成しているのは工夫が無いように見受けられます。1960年代の「公害」と、現代の「原発」は、立地地域住民と関係無いところで進められてきた、という点でクリソツなのです。
酒田には三十六人衆というのがおって、千石船で堺と同じような町人による繁栄があったのはともかく、庄内藩の首都であった鶴岡では「武士は食わねどひもじく無い。」と、ひたすら忠義を尽くしていたことが藤沢周平の小説からは窺われます。
ぼくぼくぼくぼくぼくぼくぼくぼくぼく
堀を渡って近くで見ると石垣がないので、ちんちくりんというか、瀬戸物かなんかで出来た庭先の置物みたいに見えます。こちらの方が古式なのだそうです。 何か工夫はないか、というわけで展望台を作ってあるのですが、目の高さをさらに3mほどあげると、石垣が無い分、ますますちんちくりんに見えます。
公園の中で耳をダンボにしておしゃべりを聞いてみると、結構インバウンド族が多いようです。下手をすると日本人より多かったかもしれません。どこから来たのか聞いてみたら香港・広東というわけで、南国の若者は無邪気に雪合戦をしていました。
日が差したり曇ったりなので先を急ぎ、4時過ぎに青森着。ホテルの前に「新世界」というのがあったので、焼肉。 何せ「連絡船の出る港」なので、記憶はそっち方面へ。1945年8月24日に舞鶴港で起きた「浮島丸事件」というのも出港地は大湊です。
쌍고동 울어울어 연락선은 떠난다
というのは菅原都々子の「연락선은 떠나간다」という歌であります。とはいうものの、タレは今風のタレで、H君は
下関でアベシンゾー君が食べた焼肉の方が美味かった。
とのことでした。あちらは一昔前のスライサーのカルビを一昔前のタレで食べるのに対して、こちらは手切りの肉を今風のタレで食べるというもの。わたくし的にはホルモンも結構美味かった。
by dehoudai
| 2017-01-02 13:23
| まちづくり
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