2016年 12月 20日
中島登 |
中島登君は天保9(1838)年八王子千人同心の家の生まれ、天然理心流の使い手。
のみならず高島秋帆先生に入門して鐵砲術を修行。慶応元(1865)年新撰組入隊、五稜郭まで土方歳三に従った後、新所原で開墾につくが、神明町魚惣の娘と結婚して浜松に住む。
濱松中心街の今昔
わがまち文化史編集委員会
浜松市立中央公民館 平成17年
かたや遠州は賀茂真淵以来国学の盛んなところと言われ、浜松藩御用達池田庄三郎の別荘比禮廼舎では、神官を中心にした憂国の志士たちがが密議の末に「遠州報国隊」を結成したのだが、こちらも「料亭いなんば」の案内嬢に聞いてもご存じなかった。
かくて街並みはのっぺらぼうになりゆく。NHKの大河ドラマで上田城へ押し寄せた観光客が、来年は井伊谷へ押し寄せるのだろうが、3年もすれば皆忘れてしまう。
地下の西郷頼母ご家老もさぞ悔し涙にくれているだろう。会津落城の悔しさを味わいたい人は新知町福田諏訪神社の女剣舞を見るのが良い。福田村には鉄砲町というのもあるぞ。鉄砲水にやられたところ、という説もあるが、高島秋帆先生の門人がいたのかもしれない。
by dehoudai
| 2016-12-20 17:15
| 浜松の都市伝説
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