2016年 12月 02日
E TABU TE RIN IKAI |
瀬戸川の河原にはススキが揺れていた。
東海道本線には踏切がある。
東海道本線には踏切がある。
新港には第21日光丸御前崎港というのが入っていた。 地頭方の市場が御前崎に統合され、御前崎の市場は近海船となり、御前崎の遠洋船は焼津へ来るのだ。舷で良く日に焼けた船方さんがタバコをふかしていたので、どこから来たか聞くと、
キリバスから。
とのことだった。日本語が上手だ。キリバス人なのだろうか。その昔奥山方広寺の開祖である無文元選禅師が唐から帰るとき、禅師をお慕いして奥山へ入り、半僧坊大権現となられた方も、船方さんだったというから、似ていたかもしれない。
新港の入り口の、何かの作業所には大きな看板が立ててある。 何語だろう?キリバス語かもしれない。その昔キリバス少年探偵団というものがあって、初めて目にする日本に上陸し、「ぼっ、ぼっ、僕らは少年探偵団っ。」と辺りを探検しまくったことがあるのだろう。
上陸して最初に読める言葉が「立ち入り禁止」というのは、日系米国人の歴史の繰り返しだ。
まあ焼津にも暗くなるとキラキラと明かりが灯って、狐と狸がオイデオイデをしているジャングルはあるだろうが、キリバスじゃ知らんが、日本では釣った魚にエサはくれんぞ。 図は焼津漁業協同組合
ネットで見るとキリバスは人口10万だそうだ。焼津の人口が14万なので、ちょっとした隣町だ。ところがEEZが世界第3位という、海面からすれば超大国。ビキニ環礁のあるマーシャル諸島の東、一昔前にはマキン・タラワの戦いが行われた、大日本帝國の「東のいやはての海」であるね。上の図にはミクロネシアとあるが、昭和29年の漁場図にはギルバートと書いてある。
ハワイの南2,500km、フランス領ミクロネシアの北2,500kmなのだが、日付変更線がこの辺りで大きく東に張り出しているのは、キリバスが焼津の隣町であり、大日本帝國領土だった頃の面影を残しているのかもしれない。
昭和20年8月15日に大日本帝國は米英支蘇四カ国に降伏したのだが、焼津港の漁船団は降伏せず「刺身で世界征服」ということになって「水爆で世界征服」という米国とクロスし、第五福竜丸事件となったのが昭和29年だ。
というわけで焼津の船団は今や世界中から魚を日本へ運んでいる。上記サイトによれば焼津での水揚げは重量では鰹が64.1%、まぐろ類が28.8%、金額ではまぐろ類が45.7%、鰹が43.9%となっている。
by dehoudai
| 2016-12-02 03:15
| まちづくり
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