2016年 11月 19日
仮囲い |
1960年に漁師町から城の裏へ引っ越してきたとき、11歳の私の目には浜松が大変な大都会に見えた。今でも記憶に残っているのは浜松城亀山口の軽便トンネルの上から東を眺めた景色。
谷筋の両側に、びっしりと家が建っている景色を漁師町では見たことがなかったからだ。軽便トンネルは外堀に当たったのか、浜松城亀山門の前で両側を掘り、馬の背に作られた人工地形にも見える。その急傾斜に御一新以来、あるいは戦後のバラック時代にびっしりと家が建てられたのだろう。谷の北側には、その斜面をよじ登るような路地もある。 同じような住宅地は東京でも谷中・根津・千駄木あたりでもあちこちで目にする。
谷筋の両側に、びっしりと家が建っている景色を漁師町では見たことがなかったからだ。軽便トンネルは外堀に当たったのか、浜松城亀山門の前で両側を掘り、馬の背に作られた人工地形にも見える。その急傾斜に御一新以来、あるいは戦後のバラック時代にびっしりと家が建てられたのだろう。谷の北側には、その斜面をよじ登るような路地もある。
戦前に作られた女学校に、戦後中部中学校が作られたが、当時は運動場の上が校舎で、大きな階段があった。
その谷を埋める形で運動場に校舎を建て、谷の北側に運動場を作っているようだ。運動場の地籍は学区外の亀山町を含むので、亀山自治会では「如何なものか。」と言っていた。
運動場となる亀井山西ノ谷には「牛殺し」の地名が示す通り、佐藤牛肉店が牛を殺していたところだが、元は御仕置場だ。
お上のやることはあっしらには関係ございません。
となってしまって「市民参加のまちづくり」とはかけ離れていく。もともと「まちづくり」は市民がやるもので、市民の金で人を雇い、使いっ走りに使おう、というのが米国型の行政なのだが、日本では化けの皮が剥がれると「頼らしむべし、知らしむべからず」という地が出てしまう。
こちらは福島県双葉郡浪江町で見かけた仮囲い。被災者は補償金と称して口止料を撒かれているから、言いたいことがあっても言えない。通りがかりのものがこれを世に広めなければならない。
仮囲いも教育の未来を暗示している。不登校児童を収容する特殊学級を作ろうとしているそうだ。いじめの温床となる「校」のケアをしないで「児童」のケアをしようというのは本末転倒だ。
学制改革ナルモノもどうもピンとこない「欧米先進国」にならって”K-9”など標榜しているのだろうが、当事者がわかっているのか心もとない。
どこまで行ってもいじめが無くならないのも情けないことだ。「いじめられっ子」のケアをするだけで「いじめっ子」のケアをすれば片がつくのは大方の人にはわかっているのだが、子供のいじめよりも職員室のいじめ、職員室のいじめよりも教育委員会のいじめと、芋づる式に文部省まで遡るのが明白なので、誰も手をつけないのだ。
あの子、大事なときには必ず転ぶ。
という御発言が、いじめの典型だというのに気付かないものが仕切っているのだから、むべなるかな。
by dehoudai
| 2016-11-19 13:07
| 浜松の都市伝説
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