2016年 10月 26日
看板 |
法人を解散したので、看板を下ろした。残ったのは絵画教室の看板だ。
ところが、拙宅の敷地は商業地域なのだね。隣にあるホテルの用地買収予定に入っているのだろう。日本にあるのは都市計画制度と都市計画事業だけなので、こういうことが起きてしまう。
米国の都市計画では予算の3/4が広報費だそうで、欧州でもデュッセルドルフの中心にある広場の地下は大きな都市計画のショウルームだった。然るに日本では都市計画予算のほとんどはお出入り業者が作成した(大方は地名だけ入れ替えた)報告書などの作成にあてられ、庁内担当者の書棚の肥やしとなってしまう。
都市計画制度も大方は欧米先進国の引き写しなので、住民市民の誰もが承知していることが都市計画になるタテマエになっているのだが、住民・市民の目には届かないところ作られる都市計画というもの自体噴飯ものだ。
浜松城公園を見ても「如何なものか?」と首をかしげてしまう看板・標識が林立している。それぞれの看板・標識は担当者が「良かれ」と思って作ったのだろうが、庁内相互の連絡調整がないので、看板・標識が林立し、見にくなるばかりだ。
浜松市では「看板景観賞」というのもやっているようだが、庁内調整が先だろう。
先年市民の苦笑を買ったのは東街区のテナント誘致。長年住み慣れた我が家を区画整理ということで追い払われた住民が、やっとの事であてがわれた、面積が半分になってしまった敷地に、我が家を立てようとすると「外壁の色は茶色ー灰色で「なければならない。」と難癖をつけられた。
ところが挙句の果てに、大通りに面した敷地に誘致すべきテナントが無い。やっとの事で目をつけた電気屋は「外壁の色は当社で決めます。」ということで、目立てば良い景観もクソも無い、という建物が出来上がった。 こうなると行政も「強きを助け弱きをくじく」連中が、仕事をしないで給料をもらう仕掛けとなってしまい、大方の平民は「お上のなさることは、わっちらには関係ござんせん。」と「ばかばかしい派」である。
さて住民側からは、自己防衛のために降りかかる火の粉は払わねばならない。拙宅の前は小中一貫校の通学路となっているだけでなく、結構な数の高校生の通学路にもなっているので、商業地域のなんのとお上の仰せある支離滅裂は気にしないで、住みやすい環境を防衛しなければならないのだ。
お上を頼っては街づくりなど無理。
by dehoudai
| 2016-10-26 11:46
| まちづくり
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