2016年 10月 14日
円田の石垣 |
浜松城公園の石垣が見た目とは裏腹に、石垣として成り立っていないのを見て思い出したのは、遠州森町円田の北嶋家の石垣だった。
北嶋家は赤穂浪士討ち入りの際、怪しいものが屋敷内に逃げ込まないよう、塀の上に提灯を並べた土屋逵直の家臣、領国の代官らしい。
殿様は偉い人かもしれんが、代官屋敷は大阪城・江戸城の様な巨石積みではなく、村人が河原で集めた様な玉石が積んである。多分裏側にコンクリートの基礎がある、というのではなく、玉石を積んだだけの「空積み」だろう。 これでも300年以上持っているのだから、何も石積みの匠がいたのは熊本城だけではない。当時はそうした技術がこの辺りにも伝えられていたのだろう。
こちらは義父が若い頃に兄貴にどやされながら積んだ玉石垣なのだが、今は森川橋の付け替えで消えてしまった。
by dehoudai
| 2016-10-14 15:39
| まちづくり
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