2016年 10月 13日
想定責任 |
公園の縁に高さ50cmほどの石が積んであった。
ところがこれを壊すのを見ていると、裏側に信じられないぐらい頑丈なコンクリートの基礎が作ってあったのだ。そう考えて上の図を見ると、確かにありえない「石積み」がしてある。 一見すると公園管理者の責任逃れのために、莫大な税金が投入されていると見える。昭和60年記念の事業だから、ほんの30年ほど前のものだ。
これには事情があって、以前浜松城の石垣を登っていたバカ子供が、石垣の石が抜けたために落ちて死んだことがあり、遺族に訴えられたことがある。この時市は「子供がバカなのであって、管理責任は無い。」と言い通した。こういうバカ子供を育てるバカ親はおおむね平民ではなくエリートで、市役所職員を放り回すのが好きだったりする。それ以来、浜松城公園の石はコンクリートで固めるようになったのだろう。
しかし小さな頃から真綿で包んで、危険から遠ざけて大切に育てられ、危険か危険で無いかの判断能力が無いものが、石垣を石垣を登るのは危険極まりない。そうした判断能力を養なう機会がどんどん減っていくことのほうがより危険だとも思える。
浜松城公園には「せせらぎ」のごときものが作ってあるが、その石が一つ残らずコンクリートで固められている。 こうしたところで遊んで大きくなった子供が、自然の渓流へ出かけて、コンクリートで固めてない石に飛び乗る時には、ぐらっと行きそうかそうでないかを見極めないまま飛び移って、石が転んだせいで子供が死んだら、やはり親はどこぞの管理責任を問う裁判を起こすのだろうか。
35年前に作られた高圧線で、絶縁不良で大規模停電が起きたそうだ。このまま40年以上前に作られた原発の再稼動を進めれば、日本全土で「想定外」の事故が頻発するのは目に見えている。想定能力のないものが、危険なことをやって事故が起こった場合、想定責任は問われないのだろうか。
危険なところで遊ばせてももらえずに大切に育てられ、想定能力のないままに受験勉強の暗記だけをして東大に入り、受験勉強の暗記だけをして国家公務員になったものが、想定能力のないままに政策を決定していては国は滅びる。
想定能力を育てようとしない親に限って
あ、そういうことが行政がやってくれるんでショ。
と行政と一緒になって、滅びる国の足を引っ張るのだ。
英語には「責任」という言葉がない。
accountability 想定能力
responsibility 対応能力
liability 補償能力
と、能力のあるものがことを決めるのだが、日本では「エライ人」がことを決めるのであって、「責任」というのは何かあった時に「責め」に「任ず」のであるから、最初から犯罪を犯している自覚はあるのだ。そしてその頃になれば大方は「太陽族」に見る通り、既に痴呆老人だ。
by dehoudai
| 2016-10-13 13:58
| まちづくり
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