2016年 09月 04日
R for Rainier |
初めてシアトルに行ったのは1987年だったが、中心市街地から高速5号線を南に向かうと、163マイル出口Bの向こうに”R”という看板が立っていた。
おお、ここで作っているのか、美味そうじゃ。
と見とれていると、出口の分離帯に激突しそうになる、という仕掛けだった。
数年後に同じ場所を通ると、分離帯に激突しそうになったことは忘れて、
おお、レニエビールだ、美味そうじゃ。
と目を取られて、再び出口の分離帯に激突しそうになる、というのを何回かやったことがある。
あそこの看板は”R”でなくてはならぬ。
という声が上がり、2013年タリーズコーヒーが別のコーヒー屋に吸収合併され、本社を移転したのを機会に、歴史産業博物館に収められた”R”の看板のレプリカが元の位置に建てられたそうだ。
レニエビールの工場はコーヒーの加工場から事務所・住宅に改装され、一角にレニエビールと称するミニブルワリーが作られているとのこと。
米国の製造業は1987年以降競争力を失い、M&Aと称して金融経済のためのバクチのコマと成り下がっているような印象も受ける。
日本の経営者は自分の力をすべて企業につぎ込み、それを子供に託して世を去るが、中国の経営者は企業が太れるだけ太ったら、豚同様に売り飛ばしてしまう。
という例えがあったが、1987年の株価暴落以降の米国経済は「子供を育てる」から「豚を育てる」になってしまったようだ。
建物が風景になるには50年以上掛かるのと同様、看板も風景になるには50年以上掛かるのであって、M&Aの度に看板が変わるようでは風景にはならないのではなかろうか。浜松駅前で言えば新幹線効果よりも古いのはKAWAIの看板くらいか。
うなぎパイも「お菓子」というより今や「風景」に属するものだろうが、名古屋駅の売店から消えてしまって、騒ぎになっているようだ。
by dehoudai
| 2016-09-04 11:42
| まちづくり
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