2016年 08月 30日
御船神事 |
牧之原市まで行ったので、御船神事の下調べをしてみた。
昔の感覚でいえば吉田インターを降りるのだが、大井川上空にドラム缶が散乱していて通行止めだというので、牧之原インターを出る。考えてみれば榛原に行くならこっちのほうが近道だ。
牧之原を下ると稲穂が揺れている。台風10号が来るかもしれない、という季節だ。
細江神明神社というのが判らなかった。探すと150線沿い、坂口谷川の南側、マクドナルドの交差点を東へ入ったところだった。山裾を探すと飯室乃神社というのはあったが、田沼時代の旧道が150号線の海側にあろうとは思いつかなかった。この辺り、あまり津波の記憶というのはないのだろうか。
そのまま旧道をたどると榛原庁舎の前を通って勝間田川のほとりに鹿島神社がある。これは南から見たところで、左手ガソリンスタンドの奥が鹿島神社。 相良に向かうと、荻間川は台風のせいで城の下までだばだばと波立っている。
大江八幡宮の下からは女岩が見える。 その昔水戸藩は徳川の家名のために、実収25万石のところ35万石と言い張って、領民は苛斂誅求に苦しんだと言われるが、この辺り、日本の中でも特に豊かな歴史を持っているような景色だ。今川亡き後、旗本量などが多かったのだろうか。台風10号が来るかもしれん、ということで、急遽刈り入れをするのも見られる。
境内に同年輩の方がおられたので、
御船神事は漁業とはあまり関連がないようですね。
ないね。
豊年満作で江戸廻米が出せて目出度い、というところでしょうか。
そうかもしれん。
女岩の石灰石は綺麗なところを選って磨けば「大理石」で土産物になるんじゃ?
お宮は掛川かどこかに移したみたい。
ということだった。話が噛み合っていないようなところもあるが、まあよし。
相良御城下でも福岡というあたりが古そうなのが、地境を見てもわかる。
1992年には飯津佐和乃神社石壇に「当湊廻船」と刻んであったように記憶するが、今は見当たら無い。 石の手すり同様保安設備なので、古くなると取り替えられてしまうのだろう。「安永子辰」のような年号があれば、御船神事の始まりの参考になったかもしれない。 御船神事は田沼公の民活導入を反映しているのかもしれない。田沼時代の元となったこの辺り、田沼公入国の頃、検地が甘かった、ということもあるのだろうか。これはこの辺りの石高の推移を見ないとわからない。
帰り道遠州森町一藤山へ寄って、鈴木籐三郎が若い頃作った、立身出世した自分の銅像、というのを写真に収めてきた。鼻の下横一文字に髭を伸ばしているが、軍人という感じでも無いようだ。 偉人は髭を横一文字にせねばならん、というのはナポレオン3世風かもしれない。
台風が来たら降りられまい。
と聞いたら、
日本も広いですから、どこにも降りられない、ということは考えにくいです。
とのことだった。細江神明神社では退職軍人という方が、サイクリングの汗を拭いていた。浜松基地でメカニックをしていたという。退職後は富士山の見えるところで隠居したい、という人も多いようだ。
by dehoudai
| 2016-08-30 11:31
| まちづくり
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