2016年 08月 21日
アーバンデザイン |
街を歩いていたら、Euro Urban Style という看板が目に入ってきて、ちょっと考えさせられた。
「都市社会学科ではなく、都市工学科とは、とほほ。」と嘆いた磯村英一先生はすでに亡く、先日は1961年の全国総合開発計画以来、一貫して産業の地方分散を訴えた下河辺淳先生の訃報を見た。東京という都市のあり方、日本の国土のあり方を仕切っているのは国土交通省ではなく、財務省なのだ。
小生が都上りをしたのは1968年であったから、かれこれ50年だ。東京オリンピックの余韻が静まったものの「70年には万博で」というわけで、日本にまだ未来があった時代だ。
建築学科を選んだのは絵描きになりたいと言ったら「君は才能無いから絵描きじゃ食えないヨ。」と教えてくれた人がいたからだ。2級上にスズキコージ画伯がいて、絵描きというのは気狂いのことだ、という実例にもなった。というわけで、鉛筆と絵の具で絵を描くより、コンクリートと木材で絵を描く道を選んだのだった。こちらの方がツブシが効きそうそうだと思ったのだ。
そんなわけで当時興味があったのは「アーバンデザイン」という言葉だった。建物の絵を描いても、背景が必要だが、背景となる街の姿はどうやって描くのだろう、という興味だ。
さらに歩くと交差点の横断地下道の撤去工事が進められている。この地下道が作られたのも1971年か1972年だろう。西武デパートが開店して、未来が近づく実感があった。
ミソノイの店先の Euro Urban Style というのは「街中は自動車よりも自転車が便利」というアーバンデザインの上に組み立てられたスタイルだろう。”design”という言葉は「永久に変えなくても良いもの」という意識に裏打ちされているのが英語の語感だ。それに対して”style”には「誰も見たことがないもの」という語感が未来を感じさせる。
1970年頃流行った「アーバンデザイン」という言葉が、50年にして打ち捨てられてしまったのは、あれは「デザイン」ではなく「スタイル」ではなかったか、と思われるのが国立競技場の事例だ。「東京とはいかにあるべきか」というグランドデザインが無いところで、オリンピックというお祭りが行われたのだった。
by dehoudai
| 2016-08-21 10:48
| まちづくり
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