2016年 07月 31日
生仏 |
160730 午後3時26分、馬込川を渡る。
午後3時34分、芳川古川を渡る。 午後3時40分、四本松北の用水堀を渡る。小学校の頃、用水が法川へ落ちるところには調整池が出来ていて、水遊びをしたことがある。当家の子供達によれば「ドブ」。 四本松町大山庄一邸
午後3時34分、芳川古川を渡る。
昭和4年という齢の割にはちゃんとしている。活仏ではなく「なまぼとけ」という感じだ。
昭和15年満州国新京市東光小学校の修学旅行では奉天へ行き、撫順炭鉱の露天掘りを見学した後、大連へ向かった。日露戦争の戦跡地を見学、水師営にも行った。203高地へは馬車で行った、など。(3日前のことは忘れている。念のため)
先のない老人の歴史は「勝った、勝った。」という楽しい思い出なのだろう。未来のための歴史は、裏側で何が行われていたかを知る必要がある。
テレビで花森安治さんがルパシカを着ていたのを見て、家尊が東満の視察に行った折、ルパシカのお土産を持ち帰ったことを思い出したそうだ。その時の話で、東満の山奥では、鄙俗狩りの戦利品として、頭目の生首が村に飾ってあった話を聞き、ルパシカというと匪賊の生首まで思い出したそうだ。
生仏
by dehoudai
| 2016-07-31 11:46
| 浜松の都市伝説
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