2016年 07月 18日
出島 |
さて、Hくんと私はふんどし国を立ち、伊都国へ向かった。伊都国の浜辺で聞くとエビが獲れるとのこと。
車海老も獲れるが、まあ7-8センチの小海老だな。
ということで、この辺りで取れた小海老が三州吉良湊のあたりでエビせんべいと化し、我が国最大のエビセンベイアウトレットである刈谷SAで売られるのだろう。戦前は半島へ船で出稼ぎ、というのもあったそうだ。
大河ドラマで「仮道入明」をやっていたが、名護屋城は草むらなので、これを名護屋城本丸に見立ててワンシーンやって貰えば、チャンバラごっこの好きな老々男女がバスで寄っただろうに。
呼子の街並みも1960-70年代からそれほど変わっていない。 これも大明国に「呼子の烏賊」が知れたら、大軍が押し寄せてきて、ひとたまりもないだろう。元寇の頃には一層に20-30人だっただろうが、今では数千人乗りの大型観光船が世界中を荒らし回っている。ヴェニスなど中国人観光客に踏み潰されてしまいそうだとのこと。
流石は殿、お目が高い。感服いたしました。
と弄ばれていたのだ。
宿舎は出島奥の街中だ。新地橋というのを渡って中華街へ出撃、
江山楼というのへ入ってちゃんぽん麺を食す。 Hくんはこれにて沈没、私はさらに丸山明宏の在所を目指す。黒タイとミニスカートの立ち並ぶ一角があるが、繁殖期を卒業すると、声をかけるものはいない。 酒屋でビールとつまみを購入、ホテルへ向かおうとする。しばし迷路を探検ののち、通りへ出たので、道端の串焼きへ腰を下ろす。焼豚と鳥の辛子味噌。
江山楼というのへ入ってちゃんぽん麺を食す。
宿はどっちか尋ねると、若い衆がドンガラ・ドンガラ・ドン・ドン・ドンという大音量付きで送ってくれた。昼間は別に本職があって、夜の営業は楽しみみたいな感じ。
朝付近を散策。これは
The capital of the tycoon
Rutherford Alcock著
Charles Wirgman画
文久2年
多分昨晩最後に立ち寄ったのがこの辺りだと思う。通り沿いの、店の深さ9尺ほどのところだ。 すぐ後ろには6尺足らずの道があり、こちらに角口を開ける店もある。さらに奥は全くの迷路だ。 原爆第2号は当初小倉に落とす計画だったらしい。それが小倉上空が曇りだったため。長崎に変更されたとのこと。小倉なら「焼け野が原」となっただろうが、長崎は山と谷が多く、火による即死は少なかったかもしれない。
その後も朝鮮戦争・ヴェトナム戦争と、丸山遊廓でどんちゃん騒ぎを続けるものは、後を絶たなかったのかもしれない。原発もダメ潜水艦もダメとなると観光だろうか。こちらも道は多難なのだ。
by dehoudai
| 2016-07-18 12:29
| まちづくり
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