2016年 07月 17日
紫色大稻埕20 |
紫色大稻埕20では如月ちゃんには次の仕事が回ってくる。断れば石銘君は死刑、という段取りだ。
台湾演義大稲程 新芳春 21 20 19 18 17 16 15 14 8 7 6 5 4-1
笑え。
という拷問が延々と続き、大売り出しとなったのは「誉れの軍夫」だ。 時局歌というものの、薄っぺらな歌詞を付けただけなので、口ずさむ時には
雨夜花 雨夜花
受風雨吹落地。
無人看見,每日怨嗟,
花謝落土不再回。
とやれば良い。戦意高揚映画ではありながら大ヒットとなり、多くの若者を戦場に送り込んだCasablancaとはえらい違いだ。郭雪湖画伯も引っ張られたであろう帝国陸軍文化部隊の馬鹿さ加減は
尾崎士郎
新潮文庫 昭和29年
が詳しい。
そんなこととも知らぬ石銘君は月ちゃんに「漢奸め。」と言い捨てて大陸へ。
男なんて「今日は首をいくつ取った。」と威張っては呑んだくれているだけなので、晩飯の支度は女がしなければならない。
と言ってたのはフィリピンの山奥でフェアトレードをやっている、というおばさんだった。満州帝国中枢部で「国家を見て」しまった家尊の遺訓は
あんなものには関わらん方が良い。
である。
江家では創氏改名を迫られている。
いんだヨ、国語常用ですって、その時だけ形ばかりやっときゃ、それとも何か、総督府にドロを塗りたいのか?
敵は新たに残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。
ので
朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し其共同宣言を受諾する旨通告せしめたり。
国破山河在
城春草木深
石銘君は中華民国義勇軍に参加し、傷痍軍人として帰台する。 異議申し立てをする若者が刑場に引き出される時、別れの手向けに仲間が「幌馬車の唄」を歌った、という時代が始まる。この歌も江逸安君、郭雪湖君などが育った大正ロマンを感じる歌だ。
台南に「国立台灣歴史博物館」というのがあり、 陳水扁さんの頃には「誉れの軍夫」も当時のレコードで聞くことができたのだが、このところサーバダウン状態であるようだ。 馬英九さんの時には目につくことが無かったものの、いよいよ大規模なちゃぶ台返しの準備を進めているのではないだろうか。
by dehoudai
| 2016-07-17 07:57
| むーびー
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