2016年 06月 27日
都市住宅のマナー |
縁あってGoogleMapで倶知安の街を眺めています。街中なのに自家用車の時代には快適な住宅地に見えます。 GoogleMap
それをつくづく感じたのは米国シアトルの住宅地を走っていた時のことです。交差点で一旦停止をしたのですが、横から来た車に乗った親爺に
First In, first out!
はて、私はちゃんと一旦停止をしたのだが、と腑に落ちなかったのですが、よく情景を思い返してみると、止まるのが遅すぎたようです。こちらから見て、向こうの車は停止線のはるか手前から見えているのに、ブレーキングが遅すぎた、ということのようです。cgで回想してみましょう、 m4v
そこで停止線で停止して、車がいないか恐る恐るゆっくり走り出す、ということをやっています。狭い街の中にたくさんの通勤車が走らなければ、家計が成り立たない、というこの頃です。
先年倶知安を通りかかって、街並みの様子が米国に似ているな、と感じたのはこの辺りかと思われます。積雪地帯なので壁面後退が大きいためかもしれない、と思ったのですが、基本的な住宅密度の問題ではないでしょうか。
首都圏では相変わらず江戸時代の裏長屋のような、低層超高密度住宅が増殖を繰り返しています。
そこでの議論は「木造戸建ては都市には向かない。」という方向に向かい、超高層集合住宅がこれからの都市住宅だ、となりがちです、しかしそれが唯一の解決法なのでしょうか。一つ間違うと香港にあったと言われる、九龍城のようになってしまう恐れはないのでしょうか。
これは低層超高密度住宅街・耐火超高層超高密度集合住宅街といった、建築技術の問題というより、都市デザインの問題ではないでしょうか。
日本では一低専・一中高というように、高さ規定ですが、カナダでは戸建て地域、集合住宅地域、というように、建物の種別を規定しているようです。そして集合住宅を建てるのは、密度を上げるためでなく、戸建て住宅にはない利便性を実現するためのようです。 これに対して日本の首都圏では、立体長屋が増殖しています。「これがみらい平です。」と言われても、大友克洋の暗い近未来のようで、ちょっとごめんこうむりたいと思います。
現在の東京と違い、江戸の町は高密度と言っても平屋か二階、通り沿いには表店がびっしりと並んでいても、路地裏の裏長屋の奥には、結構「アキチ」があったりしたようです。
1956年の全国総合開発計画以来、新全総、三全総、四全総、五全総と、技術側からは常に産業の地方移転が叫ばれ、それにもかかわらず首都圏への都市機能の集中には歯止めがかかりません。その辺りからボタンをかけ直さなないと、超高密度住宅街の問題は解決しないのではないかと思います。
上記シアトルの住宅街も、市役所から車で15分ほどのところで、バスもよく来ます。スーパー・レストランなども近く、暮らしやすそうです。
何せ大学入学が1969年なので「アーバンデザイナー」と「アーバンプランナー」が喧々諤々とやっていた時代です。その辺りが選挙の争点になれば、この国も少しは住みやすい国になるではないでしょうか。
いざ選挙となると憲法9条の話が、すーっとシンゾー君からは出てこなくなるのも、相当危ないことだと思います。
都市住宅のマナー
by dehoudai
| 2016-06-27 17:19
| まちづくり
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