2016年 06月 10日
都市住宅のマナー |
拙宅裏で戸建て住宅を新築中。敷地30坪ほどの上に床面積40坪ほどを建て替え、
典型的な日本の都市住宅だろう。首都圏にも同じような「町屋」が広がっている。木造高密度住宅地は火事に弱い、地震に弱い、と言われながらも、様々な技術改良を重ねて「これが日本の町屋だ。」というものが更新されてゆく。
典型的な日本の都市住宅だろう。首都圏にも同じような「町屋」が広がっている。木造高密度住宅地は火事に弱い、地震に弱い、と言われながらも、様々な技術改良を重ねて「これが日本の町屋だ。」というものが更新されてゆく。
耐火構造の超高層の方が安全だ、という議論もあるようだが、これも個々の建物ではなく、住宅地という面としてみれば似たようなものだろう。関東大震災では木造の橋が焼け落ちて、逃げ道を失って焼け死んだのが、エレベータと特別避難階段が通れなくなって焼け死ぬぐらいの違いだ。
同じような経験をしたのは北区滝野川の、中山道の裏通りだった。江戸時代には滝野川の流れを利用した酒蔵があったり、幕府の硝煙蔵があった土地柄だが、殖産工業華やかな時代の場末なのだろう。
こちらは近所のおばさんの「ヤーネー、何やってんでしょ。」というしかめっ面を通り越して、路上にたむろする男たちから殺気に似たものが漂って来た。 どうもコヤマクンはこの辺りが非常識なのだが、これは育ちにもよるのだろう。遠州舞阪港は漁村なので、都市部の住宅地のようなプライバシーが無い。隣近所でどれだけ情報を共有しているかが、漁の成果に反映するためだ。
逆に隣の港に情報を漏らす奴がいると「口が軽い」ということで仲間から追放だ。漁村で網の入れ場所を隣村に教えないぐらいなら、害は広がらないのだが、国民に解りにくくして、国家予算を仲間内にばらまいてしまうので「原子力村」などと指弾される。
コクミンノミナサマはまだ私の言うことが良くお分かりでないようで、
というのが民主主義の正反対、ということに気づかないという内閣総理大臣も「村人」で、それもあまり頭の良い方ではないようだが、コクミンノミナサマは選挙で投票すればおこぼれにあずかるだろうと、勝手に勘違いをする。しかし財政再建が先にならなければこれは無理だ。まあ霞ヶ関から村人を無くすのは大変だろう。
民主主義というが、米国では
誰でも知っていることには価値があり、一部のものしか知らないことには価値がない。
というのが建国の理念になっているのことまでは、シンゾー君もご存知のようだが、テレビを使って国民を痴呆症にするのはやめていただきたい。シンゾー君の選挙目当ての消費税増税延期を「ポピュリズム」と評した、吉田茂のお孫さんはその辺りご承知だろうか。
インターネットもそうした価値観の生み出したものだが、それによって「知る」ことの意味が変わってしまったことに、気がついているのやら、、、
その昔弁天島温泉に泊まっていた中日の野球選手が、喧嘩の果てに橋から突き落とされて死んだことがあったが、結局犯人は出ずじまいだった。喧嘩両成敗でうやむやなのだろうが、近所の人は誰か知っていたのではあるまいか。
満州から引き揚げてきて、そんな漁師町にあった縁者の別荘へ、転がり込んで生まれた子供なので、私は生来「変な奴」なのだ。
近年そんな都市住宅のマナーが崩れ始めて、マンションの一室で女子大生が殺されていたり、ゴミの出し方が悪いと言って、元警察官が向かいのばーさんに日本刀で斬りかかったりする。
1970年代「都市住宅」という雑誌があって、住宅設計が未来をつくると思っていたのだが、今にして思えば、100年単位で形作られる「都市の未来」には、とんと無頓著だったような気がする。
昭和11年浜松市の都市計画決定に際しては「浜名用水の利用に支障なきよう、百年の計に鑑みて、、、」という地元からの意見が残されていますが、大正107年にあたる今の日本では「百年の計」というのは死語であるようです。
当時農業用水であった浜名用水は、その後繊維産業のインフラとして活用され、今日の浜松を形作っています。
しかしその間に農業と工業のせめぎ合いがあったことは想像に難くないものの、農業用水利が今も、都市型洪水の防止に重要な枠割を果たしていることは、なかなか理解されません。
by dehoudai
| 2016-06-10 11:37
| 浜松の都市伝説
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