2016年 04月 19日
つるや |
つるべがうお荒で天丼を食っていたと言って、さして面白いものでもありません。うお荒の向かいにはつる屋があります。
母方の祖母は鰻が好物で、毎週蒲焼を食べさせないと
わしは久しく鰻を食べたことがない。
とおっしゃるので、子供達には内緒で特別メニューの蒲焼をお召しになっていたようです。
つるやは店構えからしても、テーブルが二つきりという、裕福な人たちは店先で居食いというのをしなかった頃の構えです。明治39年、弁天島に臨時停車上が出来、貴顕の別荘が並び始めると、茗荷屋などの旅館も並び、うなぎの出前を取る人も出たでしょう。屋敷で出前というのは江戸時代からの高級料理のスタイルのはずです。
とと姉ちゃん一家は、浜松を離れて東京に引っ越したようです。あの時代、不景気で東京に人々が流れ込みましたが、自由に戸籍を新調することができず「寄留」という扱いだったと思います。
母の一家も戸籍を手に入れて家を建て、蒲田から矢口へ移り住んだのであります。
by dehoudai
| 2016-04-19 10:40
| まちづくり
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