2016年 03月 07日
軽野神社 |
義母のお見舞いに伊豆へ行ってきた。なんと病院の向かいに軽野神社があった。
「皇年代記」に「崇神天皇14(68BC)年、伊豆より大船を貢納す」という記事があり、 これが伊豆における造船の最古の記録である。弥生時代にも登呂遺跡から出土した石が伊豆産のものであり、 丸木船で西伊豆と交流があったことがうかがえる。
さらに「日本書紀」には応神天皇5(272)年の秋八月、庚寅(282)冬十月に、「伊豆国に科せて、船を造らしむ。長さ十丈。船既に成りぬ。 誠に海に浮く。便ち軽く泛びて疾く行くこと馳るが如し。故、基の船を名けて枯野と日ふ。」
とあるそうだ。「枯野」は難波の津へ曳され、天皇が使う清水を汲むために26年間就航したそうだ。 その昔淀川にあったという水船が参考になるかもしれない。別の説では天皇が使う清水を貯めるタンクに使われていたとのこと。こちらは酒船のようなものだろうか。
「枯野」が建造された地は、 伊豆市の軽野神社付近と伝えられていて、 枯野→軽野→狩野と転訛したものだともいわれている。
なるほど伊豆国は安政の津波でロシア艦が破壊され、代船ヘダ号を建造して近代造船の揺籃となったが、その先には鎌倉水軍を成り立たせた伊豆水軍あり、さらにそのはるか昔には軽野伝説があるのだ。
小生は小学校入学の折
うさぎおいしかの山
こぶなつりしかの川
という歌を教えられて、後年伊豆に狩野川という川があるのを知り、歌の「かの川」というのは伊豆にあるものと信じ込んでいた。かの川の裏山で獲れるうさぎは美味しいのだ。たぶん昭和33年狩野川台風の頃だろう。
案内板にはこの辺りを狩野氏という豪族が治めていた云々とあったが、これも 枯野→軽野→狩野という巨船伝説あってのことだ。
by dehoudai
| 2016-03-07 08:26
| まちづくり
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