2016年 02月 17日
退職しない団塊の世代 |
テレビでCCRCというのをやっていた。それを見て、数日前に米国に新聞に出ていた記事を思い出した。
fastcompany.com
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米国では2011年に最初のベビーブーマーが65歳の定年を迎え、その後毎日1万人がその年齢に達している。2030年には7,270万人に達するそうだ。
しかしたとえパートタイムであっても、仕事をやめないという人が増えている。ギャラップ調査では約半数が66歳以降も働く、10人に1人は最後まで仕事をやめない、とのこと。
別の調査では「老人」というのは72歳くらいからだと考えている。これまで長く歴史の根ざしてきた退職の仕方は急速に変化している。科学者はこれに加えてレジャーと受動的な娯楽を過度に重視した生活は健康に悪いと指摘している。
シカゴの大学にあるアルツハイマーセンターの研究では、目的のある暮らしー給与生活やボランティアなどで得られる、意義を強く感じる暮らしーが脳卒中・痴呆・運動機能障害・不具・若死を起こす可能性を大きく下げるとのこと。引退は賢くも健康でもない。
続いて高齢者が働き続けるのを助ける各種組織の実例
Life Reimagined
https://lifereimagined.aarp.org
encore.org
http://encore.org
Experience Matters
http://experiencemattersaz.org
寿命が延びて様々なことが変わり始めている。40年働いて、30年遊んで暮らす、というのは不可能。高齢者の貧困、医療費の高騰、住宅など、建設的だとか、楽しいとか、興味深いというのでなく、避けられないこと。
てんだが、私が見たことがあるのはワシントン州キャマス近郊のリタイアメントコミュニティだ。1987年当時、地元業者に見せてもらったのは、住宅不況で通勤住宅が売れないので、ボーイングの退職者の退職金目当てに、普通の分譲地を”Retirement Community”と銘打って売り出した、という感じだった。建築技術としては何も無く、制度としてはContinuous Careなんてのは売り出しの口上で、融資に優遇があるとか担保がどーたらいう話だった。サブプライム崩壊の10年ほど前のことだ。 この辺りもTPP式の国際食料資本の独占で離農者が多い。そこで別に”Retirement Community”などと言わなくても、昔買った市内の住宅から、離農者の1町歩か5町歩くらいの農場の残骸を借りて野菜など作り「オーガニック」と称して日曜朝市に売りに行く、という退職者もいるそうだ。
米国の新聞は無理としても、霞が関でCCRCの大売出しをやっているみなさんは、根底に流れる東西文化の差については、お気づきではないのか知らん。
ヘブライ教・イスラム教は知らず、異教徒がキリスト教を見るに、キリスト教徒にとっての「労働」とは、人間が犯した罪を償うために、神に捧げる苦役、という趣が感じられる。宇宙のすべては7日間で「創造主」が想像したのだから、神の命ずるままに罪を償うのだ。65歳まで服役すると、天国に行けて、そこでは働かなくても「後生楽」に暮らせる、というものだ。どうも天国というのは最近の研究によれば痴呆の楽園ではなかろうか。
ところが八百万の神々の幸わう瑞穂の国では「仕事」は自分が神になるための修行なのだ。長い歴史の中で、日本の農林水産業・製造業は神になるための修行として発展し続けてきた。
日本人が始まって200代で1億3000万人になったとすると、これまでに生きた日本人の総数は12億人ほどだろう。このうちの800万人が神様なのだから、様々な職場で、数人あるいは数十人に一人は神様だ。その中には田植えの神様もいれば、魚の群れを探す神様もいる、旋盤の神様も焼き入れの神様もいる。この国の国際競争力はこうした神々に負うところが大きい。明治の御一新で西洋伝来の大量殺戮を覚えた者達が、この国を支えて来たわけではない。
その辺りがお分かりでない、大方はキリスト教文明を基盤とした「欧米の先進制度」を取り入れることが優れている、という文明開化的発想がちゃんちゃらおかしい。こうしてどこにも責任者がいない、という無責任行政制度がまたしても金をドブに捨てる。
「欧米の先進制度」というのは、自前の工夫がないときの常套手段だ。お出入りの学者・コンサルが小耳に挟んだ「ちょっといい話」を持ち込んで、本省の若手が上っ面の視察をしてくれば一丁上がりだ。制度にカタカナが出たら眉に唾をつけたほうがいい。
日本は金持ちも貧乏人もいない、という世界に誇る社会を実現したが、米国ではそうはいかない。敷地面積3万坪以上、床面積300坪以上、分譲価格5億円以上という高級分譲住宅地もある。こういう住宅を買うお金持ちは、コックの次に看護婦の資格を持った女中を雇えば良いのだ。こうした高級分譲住宅地は、大方痴呆天国だろう。
ボストン環状線で私が目にしたのは、高齢者を売りにするドライブイン。昔の豪邸のナリで、従業員はほとんどが65歳以上と思われる高齢者。それがメイド/サーバント風のレースの襟飾りと黒タイという制服を着込んで、
ご主人様、お帰りなさいまし。
などとやっていた。退職者給与で使えるし、客商売の好きな人々にも活躍の場となっているのだろう。
伊豆半島では50年前に伊豆急が開通し、工場誘致よりも観光開発が盛んだった。函南町など新幹線から15分ということで、分譲別荘地の開発に力を入れた。それが50年経って、見事に姥捨山と化している。地域で生まれ育った高齢者なら、ニーズも必要なケアも、かなりの部分が隣近所で自給自足してしまうのだが、山中に取り残された「元東京都民」は、何から何まで行政を頼っておんぶに抱っこしようとするので、到底その負担に耐えられるものではない。
by dehoudai
| 2016-02-17 11:37
| にゅーす
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