2016年 01月 11日
左前 |
建築史の教材にと掛川城二の丸御殿の平面図をトレースしてみた。
原図は
静岡県指定文化財
掛川城御殿修理工事報告書
掛川城御殿修理対策委員会
昭和51年3月
に収録されているものだ。作図上さまざまな障害があった。
・尺寸法で作られた建物をメートル法で表記してあるので、6.5尺が6.49尺など、末尾ケタが狂う。
・すべてが同時に建てられたわけでなく、増築部分があるらしいので、そこでグリッドが狂う。
・メートル表記では、グリッドの切り替えがどこにあるのか判然としない。
・建具の召合わせが左前になっているものがある。単に召合わせの都合なのか、意図的なものか、不明。など
商家では左前はいかんといって忌するのだが、お城では気にしていなかったのだろうか。
当家では手元不如意であるから、左様心得よ
と家臣を戒めたものだろうか。単に召し合わせの都合だったのか、判然としない。大政奉還により徳川慶喜公駿府謹慎の折、駿府勤番組は掛川へ追っ払われ、掛川藩大田備中守様後家中はトコロテン式に上総へ押し出されたという。
この建物も御一新の後、女学校へ払い下げられ、戦後は市役所、消防署庁舎、倉庫と100年以上使われてきたそうだ。
掛川からは柳沢伯夫さんが出ている。大蔵省出身で、FRBできちんと話のできる最後の人ではなかろうか。誠実な人なので口を滑らせて
女は子供を産む機械。
という財務担当者の本音を漏らして、失脚してしまったのは残念であった。彼の困った顔が消えたあたりから、財政赤字などどーでもいい、という日本沈没が加速したのではないだろうか。
妻がパートで25万円、夫が50万円で月収75万円。
という、絵空事で操られる傀儡総理が、憲法改正を進めている。財政赤字に歯止めがなければ、
戦争やってチャラ
しかなかろう。
by dehoudai
| 2016-01-11 11:49
| まちづくり
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