2016年 01月 03日
現代都市の社会学 |
磯村英一編
鹿島出版会 昭和52年
東大に都市社会学科ではなく都市工学科を作るとは、この国をどうするつもりだ。
と憤慨しておられた磯村英一先生の、古希の祝いの論集。
物流と自家用車、情報通信技術で都市と農村の境界が逆転してしまったのだ。
最早産業経済上、都市の都心業務地区が無意味なことは、2001年WTC破壊によって死亡した主要企業経営者もいなければ、米国経済が機能不全に陥ることもなかったことを見ても明らかだ。
当家で寺を「田舎」へ移して気がついたのは「隣は何をする人ぞ。」と「生まれてから墓場まで同じ付き合い。」という人間関係の違いが、人口密度など、都市と農村を分ける一般的な指標とは別に、都市・農村を問わず存在することだ。
「田舎」と言っても浜松市内の交通至便なところにあるので、住民も中心市街地での自営業あり、米を産直する人あり、近代産業の従業員で世界を飛び回る人ありと、消費生活は都市住民と変わらない。
「旧住民」と「新住民」の対立は1960年代の産業配置、1970年代の住宅ブームと共に始まったが、今では伊豆半島など当時の「別荘地帯」で、周辺に地縁を持たないまま、帰る本宅のない別荘住民が高齢化しており、旧住民がこれまで自給自足してきた地域社会機能を、行政に「おんぶにだっこ」しようとして、お荷物になっている。
Comune=檀家というラテン語からコミューンという言葉が生まれ、コミュニティという言葉が生まれ、コミュニズムという言葉が生まれた道筋を、振り返るのも面白そうだ。
Apple Inc.を作ったスティーブ・ジョブス君は若い頃、カリフォルニアのサブカルチャーの中で流行ったコミューンで生活をしていたというが、ノーマン・フォスターが提案した本社ビルのデザインは、客家円楼に似ている。コミューン主義
その昔目が届かなかったもので面白かったのは、尾張中納言御国入りの記事を、鈴木広先生という方が
遊女濃安都
なる書物から引いている。1731年から1739年まで、徳川宗春が尾張国主として、開放政策を進めた時の名古屋の都心の様子を引き、結局「名古屋は国都ではなかったので、都心も都心ではなく、宗春失脚とともに消えてしまった。」という結語を置いている。
だがしかし、明治時代の「名古屋普請」という言葉と同じく、現在も「名古屋風」は健在であり、国民から税金を巻き上げて、国策企業に貢ぐ東京とは対照的に、この国を食わせているのは名古屋だ、という心持ちもあろう。
鈴木次郎先生という方が「解放令」の成り立ちを穿鑿しているのも面白い。ここではその内容に立ち入らず、発布の有様を概観する。今日の様に官報をネットで見ることができないので、太政官布告が津々浦々まで行き渡るのに数ヶ月を要しただろう、というのがテーマだ。
by dehoudai
| 2016-01-03 16:57
| ほん
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